【真実と嘘と投影】

   
   

 「これが真実だったんだ!」と真実に出会った時は要注意で、詐欺師はだいたい真実の皮を被っている。 「わたし」は見たいものしか見ない。「わたし」はそうあってほしい物語を生きたい。 真実を装う詐欺師は「わたし」が渇望していた「物語」を投げてくる。そんな「真実の物語」に「わたし」はやすやすと乗っかってしまう。
 既存のメディアやマスコミの言うことを鵜呑みにしないという姿勢は大切だろう。 だからといって既存のメディアの反対の事を言っている人物が「真実」なのだというのはあまりにも純真無垢すぎる。 現代は情報が多い上にデマや嘘もたくさん紛れている。その中から本当のことを「選択」するのは難しい。 間違って偽情報を掴んで失敗してしまうことは仕方のない事ですらある。
 だから「わたし」が「真実」に出会った時は、その「真実」とやらに自分が何を投影していたのかを目を閉じてきちんと確認しなければならない。 そして「嘘」をついている既存のメディアやマスコミに自分が何を投影しているのかをちゃんと確認しなければならない。 そしてその投影をちゃんと自らに引き戻すこと。投影を引き戻した現実の今ここに在るこころ身体こそが真実だ。 その時に知るだろう、嘘つきは自分自身であったことに。そして真実も自分自身であったことに。
 世界はかんたんに変わったりしないし簡単にひっくりかえったりしない。 たしかにこの世界は不公平で不正義で邪悪に満ちているように「見える」。 だけど、ひとつの「真実」とやらが邪悪な世界をひっくりかえすようなことはない。 なぜならこの世界や社会はふつうのことをふつうに営むふつうの人たちによって営まれているからだ。 「真実」に目覚める者はこのふつうの人を舐めている。ふつうの輝きが「見えない」。 ふつうのことをふつうにやれば世界や社会はゆっくりだが良い方向に変わる。世界を変えるのは「真実」という劇薬ではない。 ふつうの輝きだ。そこには「真実の人」が語る「大きな物語」はない。 だが無数の小さな物語がつむがれている。真実の詐欺師が語る「大きな物語」にハメられてはいけない。 ちいさな物語を自らの生活で紡ぐんだ。世界がどれほど邪悪でもどれほど嘘に満ちていてもこのふつうの輝きを消すことはできない。
 投影を引き戻すことは、ふつうのわたしに戻ることである。 「真実」か「嘘か」という極端に分裂した異常な状態で判断するのではなく、 ふつうのわたしとしてふつうの判断をすればふつうの結果が出るだろう。それでいいのだ。 ふつうこそが世界をゆっくり良いものにするのだから。「真実」に憑りつかれた状態でふつうの判断はできない。 「真実」はかんたんに人の目を曇らせる。「真実」に踊らされるな。真実を踊るんだ。自分の足で踊るんだ。 それがふつうのかがやき。ふつうのことをふつうにやっていれば真実は自ら己を開示する。

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