いちばん厄介なのは社会的にはある程度成功しているんだけど内心自分の人生に絶望しているような人で、
そういう人に会うと翌日身体が針で全身をさされたような感覚になる。
こころも重い。それはその人の身体の感覚が写ったからともいえるし、そのような意識を向けられたからだともいえるのだが、
とかく表面上社会的には成功しているけど絶望している人と会うと翌日身体が痛ましい。
これは例外なくそうなる。特に「管理」したがるタイプの人間と会うとそうなる。
おれはふつうの人間だし、多くの人はふつうの人間で、みんな生活が苦しいとか家族がうまくいってないとかいろいろ悩みや苦しみは抱えているけど、
実は心底自分の人生に絶望しているということは無い。明確に希望がある訳ではないけど絶望しているわけでもない。
そんな人と話すのはおれはとても楽しい。あれが苦しいとかこれが悲しいとかそんな話をお互い笑い合いながらできるんだから楽しいことこの上ない。
なぜなら自分の人生も他人の人生も「管理」できることなどできないと知っているからだ。それを知っているだけで実は人間は絶望からは逃れられるのかもしれない。
絶望したって人生はやりなおせるけどやり直しがきかない絶望ってのは確かに真の絶望。
牢屋から出れない囚人の叫びってのは確かに身体に刺さるがでもその牢屋に進んで入ったの自分自身なのだし牢屋のカギをもっているのは自分自身なのだから
自分自身で牢屋から出て下さいとしか言いようが無い。
牢屋に価値つけてデコレーションしたらその牢屋に惹かれてやってくる囚人希望者みたいな人はたくさん寄って来るんだろうし
それはそれでええけど牢屋は牢屋。そこがどれだけステキな牢屋でもおれは牢屋には近づかんよ。おまえは人生の主人ではなく牢屋の看守にすぎないのだから。
奴隷志望、囚人志望みたいな人を対象にして商売したらそら自分は看守にならざるをえないわけで、そらそんな人生は絶望そのものだわな。
自由も無いし解放すら無い。こころも身体もそこには無い。
自ら作った牢屋の看守として人生を過ごすのも一興でしょう。
その人生は刑罰そのものだし何らかの罪をそこで償ってるんでしょう。ただ、おれをその牢屋に入れようとするな。
おれはその牢屋にも絶望にも全く興味がない。つまらん。自分や他人を管理しようとしたその瞬間が絶望そのものなんだよ。
そんなつまらんことで他人の身体に針を刺すな。おもんない