人間を動物の姿で描くということには様々な意味があってそれ自体が悪いことではない。
だが特定の精神障害や疾患や病に罹患している人を動物の姿で描くことや被差別や貧困の問題を抱える地域の住人を動物の姿で描いて表象することは端的に差別であり、
当事者への著しい侮蔑である。
おとぎ話などでは魔女の魔法や呪いにかかった主人公が動物に変えられてしまい、その主人公が兄弟姉妹、小人、他の動物の助力を得て再び人間の姿にもどるというモチーフがある。
人間が動物になるということは、動物に変えられた人間はまわりの人間とはコミュニケーションをとれなくなるということであり、人間が家畜や愛玩動物として人間以下の扱いをされるということである。
最近話題になっている、あるセラピストが出した著作のなかで特定の精神障害や疾患や病を動物の姿で描いた件は、まさしくそのセラピストが人間に呪いをかけたわけである。
また特定の精神障害や疾患や病を動物の姿で描くだけではなく書籍のタイトル自体が「職場の困った人をうまく動かす心理術」と、
まさしく精神障害や疾患や病に罹患している「困ったさん」を「うまく動かす」ことをしてもよい動物扱いしているわけである。
そのことの詳細についてはここでは触れない。ただひとつ言えることは、障害は障害であり、疾患は疾患であり、病は病であるということである。
その特定の障害や病や診断名によって人間そのものを語ることはできない。人間を語ることばは人間のことばである。そのような人間のことばが無い限り、このような呪いを解くことはできないだろう。
このセラピストだけではなく、最近は気軽に誰もが「依存症だから」「鬱だから」「~障害だから」と障害や病や診断名で人間を語る。
もちろんそれによって当事者が生きやすくなるという面もあるし、それによって相互理解が可能になるという良い面も多々ある。
だけどその診断名で人間を表したような気になってはいけない。障害や病や診断名はその時の「わたし」を現すことばであっても、人間を現すことばではない。
診断名がその時の「わたし」ではなく、人間そのものを言い表すならそれは呪いとなにも変わらない。
呪いをかけられた主人公が再び人間にもどるその過程とはきっと、人間が人間を現すことばを取り戻す過程なのだろう。
そして、人間はもうすでに呪いをかけられている。今回のような件だけではない。家庭内での虐待や、学校職場でのイジメ、社会に根強くある差別や貧困や戦争も呪いだ。
昔っから人間を支配し隷属させるためにいろんなやりかたで呪いをかける奴はごまんといる。だから人間が動物に変えられるというモチーフのおとぎ話が世界中にあるのだろう。
そのおとぎ話は「わたし」にかけられた呪いを解いていく過程で「人間が人間になる」ということ、「人間が人間である」ということが実現すると指し示してくれている。
「わたし」に呪いをかける者は人間のことばを失った者の成れの果てである。この社会には「わたし」を現すことばは億万とあるが、人間を現すことば絶え絶えになっている。
だけどそれは各々が「わたし」にかけられた呪いを解いていく時間のなかで必ずそのことばは再生する。だから呪いをかけられたことを不幸や不運に思う必要は無い。
この呪いでさえもそれは祝福への道だ。人間が人間であることへの祝福の道だ。