【連載『東九条、死者無き多文化共生の行方≪5≫』】

「東九条とは誰なのか、何なのか?

その2 二階建ての東九条の三つの多文化共生

東九条 東九条 東九条

東九条という地域は「二階建て」になっている。東九条地域には「一階」に住んでいる集団と、「二階」の集団がいる。
  
 「東九条の二階の集団」とは平山が本連載で書いている「多文化共生エリア」に纏わる関係者のことである。「東九条の一階の集団」とは「その他の地域」の住人ことである。
  
「東九条の二階の集団」には大卒者が多く、すでに階級上昇している東空条の外からやってきた人がほとんどである。 「東九条の一階の集団」は東九条に代々住んでいる地域の住人で、平山は「一階」の住人である。この「一階」「二階」という比喩は当然「階級」のことも表象している。
  
 ところで「男はつらいよ」という映画がある。その第一話はまさしく「階級」の話だ。寅さんの妹のさくらに玉の輿とも言えるまさに「階級上昇」する縁談の話が持ち掛けれる。 そのお見合いの席に兄である寅さんも同席するのだが、当然、寅さんはインテリの上流階級の世界についていけず、 さくらのために張り切って頑張れば頑張るほど、酒が進めば進むほど、寅さんの地のガラの悪さ、粗暴さ、品の無さ、育ちの悪さが露呈していき、結果さくらの縁談をぶち壊してしまう。 さくら自身はこの縁談に最初から乗り気でなかったものの悲しい話だ。平山にとっては身につまされる話でもある。この「育ちの悪さ」は隠せないし、変えることなどできないのだ。 だけどおれは、育ちの悪さは洗練させる必要はあるが、変える必要は無いと思っている。自分自身の生まれ育ちを自己否定することほど惨めで悲しいことはない。 たとえ「階級上昇」できなくても、自分の生まれ育ちをねじ曲げ変える必要などどこにもない。
   
 だが、「一階」と「二階」との間には「越えられない壁」、もしくは「越えなくてもよい」壁がある。ここに「地域」や「土地」に生きるということの困難がある。 「一階」と「二階」が「越えなくてもよい壁」を超えた時、事件や事故が発生する。
  
 人間には、他人様が軽々に触れてはいけないこころがある。
  
では「東九条の二階の集団」が構成する「多文化共生エリア」とは具体的に何なのかを見ていこう。
  
「多文化共生」と一言でいうけれども、東九条地域には平山が知るだけで三つの「多文化共生」がある。
  
1「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」
2「カトリック希望の家こども園」
3「東九条マダン」
  
である。この3つの多文化共生はそれぞれ異なる多文化共生である。空間的に、そして人間関係的にこの三つは重なりあっていて、その場を平山は「多文化共生エリア」と呼んでいる。
  
  添付の赤い地図は東九条地域の地図である。東九条という地域には「広域の東九条」と「狭域の東九条」がある。 「広域の東九条」とは「地図2」の桃色の部分でこれはそのまま「行政区」としての東九条である。「狭域の東九条」とは「地図3」のオレンジ色の部分である。 この「狭域の東九条」とは何かというと、京都市の「東九条対策地域」に指定された通称「四ヶ町」と呼ばれる地域の事である。 1967年、京都市が東九条のスラム環境改善対策に着手することを定めたその際に「東九条」の範囲とされたのが、山王学区東部四ヶ町(北河原町、南河原町、岩本町、南岩本町)の地図3のオレンジ色の地域である。 そしてこの「狭域の東九条」は本連載において、平山が東九条の「多文化共生エリア」と呼んでいた地域にほぼ当てはまる。 東九条の「その他の地域」と呼んでいた地域はオレンジ色以外の水色の地域である。
  
 東九条という地域は在日韓国朝鮮人が多いというけれども当然日本人の方が多い。そして被差別部落の人や障害者もいる。昔から差別と貧困と暴力の問題を抱えていた。 劣悪な住環境、教育、福祉、悪質な地上げなどいろいろ問題があったが、そんな東九条には昔からいろんな運動体が入ってきた。 キリスト教系のセツルメント、労働運動、学生。もちろん地域住人の組織もあった。だが様々な「運動」団体が主に活動していたのは「狭域」の東九条においてである。 運動体にはその運動の目的により、行政に対して反発的な集団、中間、行政と協調的な集団があり、最終的に東九条に残ったのは行政と協調的で行政と一体化する道を選んだキリスト教系の運動団体、「地域福祉センター希望の家」である。 それが現在の京都市多文化交流ネットワークサロンである。
   
 「希望の家」のはじまりは1955年、彦根の教会に赴任してきたディフリー神父が、 国鉄の車窓から見える東九条地域のスラム街に広がるバラック小屋の光景を見て「あの町の人たちのために一緒に働かななければならない」と決意し、 1959年に「キリスト教の布教をしない」という約束のもと始めた地域の福祉施設である。こどもたちの学習支援や医療、貯蓄共助会などの社会福祉事業を展開し、1967年に「希望の家カトリック保育園」が開設される。「カトリック希望の家こども園」は「多文化共生保育」を保育理念として打ち出している。  留意されたいことは、希望の家の福祉事業の対象は「広域の東九条」ではなく、「狭域の東九条」すなわち地図3のオレンジ色の区域、北河原町、南河原町、岩本町、南岩本町のみが対象であったということである。 そして基本的には他の運動団体もこの「狭域の東九条」それに加えるなら「ゼロ番地」においてその運動は展開されていく。 だから、東九条の「その他の地域」において、これらの運動はほぼなんの関係もない。事実平山は曾祖父の代からこの東九条に住んでいながらも、これらの「運動」があったという事実すら5年前まで知らなかったのだ。
  
 また、アカデミアの東九条を対象とした研究のほとんどはこの「狭域の東九条=多文化共生エリア=二階の東九条」を対象としている。 そして現在においてもアカデミアやアーティスト、福祉、教育関係者、社会運動、人権活動家、学生などが関わる東九条とはこの「狭域の東九条=多文化共生エリア=二階の東九条」である。 だからここで勘違いが起きる。東九条の外からやってきた人はこの「狭域の東九条=多文化共生エリア=二階の東九条」が「東九条」そのものだと思ってしまう。
  
 例えば「東九条マダン」。「東九条マダン」とは、東九条でもう30年ほど続いている「まつり」である。平山はこの東九条マダンに5年前から運営側として参加し始めた。 それまでは地域でやっていた「まつり」であるにも関わらず観客としてすら行ったことが無かった。初めてその会議に参加した時に非常に驚いた。「ここは本当に東九条なのか?」と。 問題について非暴力の話し合いの民主的なプロセスで意思決定する、威圧的な人がいない、いい人ばっかり、人権意識が高い、…、とにかくなんか雰囲気がいい。 その場は東九条であるにも関わらず、平山が育ち現在も生活している東九条とはあまりにも違いすぎる。 この時が平山にとっての東九条の「多文化共生エリア」との初邂逅だったのだが、東九条の「一階の住人」である平山が初めて東九条の「二階」の世界を見た体験だ。 そして平山が「ここは本当に東九条なのか?」と驚嘆するほどに、その世界は違う。
  
 だが、平山が感じたこのような感覚を、東九条の外からやってきた大卒の人たちは感じないだろう。 なぜなら、彼女彼らも、地域は違えど同じ「階級、階層」の人たちだから。だから東九条という地域に「二階」と「一階」があるということを認識すらできない。 東九条の外から来た人は、東九条の「二階」を「一階」だと勘違いしてしまう。だから、これまでの平山の申し入れや抗議の「意味」がわからない、伝わらない。 何が問題なのかがわからないし何故平山がそこまで怒り狂うのかが理解できない。
  
 「二階」の集団にとっては、東九条という地域が動物の姿で描かれようが、ヤッホーのおじさんのプライバシーが侵害され、侮辱的な扱いを受けようが、 東九条の在日韓国朝鮮人を差別し侮辱するような内容の演劇(に関しては本連載の別章において書く)が行われようが、全く「問題ではない」のだ。 そんなことが起きても、「二階」の集団にとっては「自分の問題」ではないし、自分の生活になんら影響はないし困ることは一つもない。
  
 これまで平山は地域のいろんな人に上記の問題について個別に訴えてきたが、反応は薄い。 これには理由がいろいろあるのだが、まず東九条の「二階」の「多文化共生エリア」に関わっていると必然「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」に関わることになる。 この施設は京都市から多文化共生の事業を委託されて運営されている。そして「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」の「登録団体」はこの施設を使用することができるし、かつ人脈や活動の幅を広げることができる。 簡単に言えば、「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」は政治力をもっているわけである。 だから「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン人脈」が関わっていることには物申すことは難しいし、実際にそのような事があることも関係者からも聞いた。要は、多文化共生と言ったって、「ムラ社会」なのだ。
   
 もちろん、政治力をもつことが悪い事ではない。それは必要なことだ。だが、問題はその政治力が「公平」に運用されているかどうかである。 現状それはされていない。無論、本人たちは「公平」にやっていると思っている。だけど、その「政治的公平さ」はあくまで「多文化共生エリア=二階の東九条」の中だけで「政治的公平」さが担保されているだけである。 「一階の東九条=その他の地域」のことなど認識すらしていない「二階」の集団にとっては自分たちの「政治的ふるまい」そのものが不公平で不正義で、「一階」の住人の存在すら消し去る悍ましい行為だということがわからない。
  
 事実、おれは何度か「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」に抗議文を送っているがこの抗議文に対して返信は一切無し。 「回答しません」という回答すらなし。完全に無視。「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」の施設長、前川修氏に直接会った時に「なぜ返信しないのですか?」と尋ねたところ「あなたあれは脅迫ですよ。」と意味不明の返答。 平山が送った抗議文は「書籍版」の方に掲載するのであの抗議文が脅迫かどうかはそれを読者の方に読んで頂いて判断してもらうことにして、この前川修氏の「あなたあれは脅迫ですよ」ということばは非常に興味深いことばである。 この一言が「東九条の階級構造の」全てを象徴していると言ってもいい。
  
 現在東九条地域で「平山が大谷通高に暴力を振るったから大谷通高さんが東九条マダンをやめた」というデマが流れている。 このデマを流したのは誰なのかはおれはもうはっきりわかっているのだが、とかく「平山が暴力をふるった」というデマが去年から流され続けている。 おれは去年から東九条の某写真展やそのメンバーである大谷通高に激しく抗議を続けてきたので、その抗議を暴力だと不当解釈した者が「平山が暴力をふるった」というデマを流していて、 「多文化共生エリア」の複数の人間がそのデマを実際に吹聴しているという事を聞いた。
  
 恐ろしいのはこのデマが原因となって、実際に平山が地域のまつりである人物に怒声を浴びせるという事件にまで発展するのだがその事件のことはまた後日書く。 一つだけ大切なことを書いておくが、「嘘やデマは社会を破壊する」のだ。平山の悪口を言うのはいい。悪口は「評価」だから。だけど、嘘やデマを流すことは絶対にしてはいけない。 嘘やデマは平山ではなく社会そのものを壊すから。「朝鮮人が井戸に毒いれた」と似たようなことが東九条の多文化共生エリアで起きたわけで、明らかに異様なことが起きている。 そしてこのことに誰も気が付いていないという異様の二段重ね。
   
 それはさておき、前川修氏の「あなたあれは脅迫ですよ。」と「平山が暴力を振るった」ということば。 「一階」の住人である平山にとってはそのことばは「抗議」なのだが、「二階」の集団にとってはそれは「暴力」となる。なぜか。 「二階」の集団にとっては、その内容は関係なく、「一階」の集団に属する平山が抗議すること自体が「暴力」として認識される。 何故ならその行為は「二階」の集団にとっては既存の階級秩序をひっくり返す「革命」だからである。 「一階」の集団が「二階」の集団に抗議すること自体が東九条多文化共生エリアの「階級秩序」を乱す行為だ。 だから「二階」の集団は「一階」の住人である平山が「階級闘争」をしかけてきたと半ば無意識に認識したのである。 だから実際に平山が暴力を振るってはいないのに、「あなたあれは脅迫ですよ。」と言って無視し、「平山が暴力を振るった」とデマを吹聴する。 平山が暴力を振るったという事にすればその抗議を「無化」することができる。
   
 多文化共生エリアの「二階」の人たちにとっては「一階」の集団はあくまで教育や福祉といった「保護」する対象でしかない。 また、アカデミアにとっては研究対象でしかない。アーティストにとっては東九条という地域は自己実現するための手段でしかない。 「二階」の人たちは「一階」の住人を対等な友人や仲間だとは思っていない。ましてや、東九条の「その他の地域」の住人のことなど一顧だにすることはない。 だから「一階」の住人である平山からの「芯を食った」抗議をその秩序を乱す「革命」だと認識し、「暴力」だということにして終わらせる。
   
 例えば連載≪2≫で書いた、東九条の住人を動物の姿で描いたボードゲームの件。差別と貧困の問題を抱える地域住人を動物の姿で描くことはド真ん中の差別と侮辱であるが、「多文化共生エリア」の人はそのことに誰も気が付かない。 そして平山が指摘したとてこれが本当にマズイとも思わない。 何故なら、東九条の住人が動物の姿で描かれていても、自分たちの階級の世界には何の影響もないからである。 そのことで自分たちの階級が壊れることは無い。だから無問題。だけど、平山にとっては違う。これは記憶の破壊であり、たましいの破壊であり、現在自分が生活している場への破壊なのだ。 だからおれは真剣に全力で怒り狂った。だけど、東九条地域でどんな酷いことが起きても、それが階級上昇した人たちの世界に影響を及ぼさない問題であれば、それは認識すらされないし、問題を訴えたところで無視される。 これが隠蔽された 「階級」の恐ろしさである。問題自体が見えなくなるのだ。下の階級で起きていることは全て「対岸の火事」だ。 自分たちが関わりたい問題にだけ関わる。自分たちが助けたい弱者だけ助ける。それは多文化共生の趣旨にかなう人だけを助けるということだ。
   
多文化共生エリアの階級に影響の無い「問題」はそれがどれだけ差別的で酷いものでも認識すらできないし、指摘されても対応しない。何故なら自分たちの階級を破壊するものではないから。
   
自分たちと同じ階級の者が差別的な表現や言動をしてもそれは不問にするか見なかったことにする。指摘すると擁護すらする。
   
自分たちの階級に向けられた暴力や暴力的な言動は徹底的に排除する。なぜならそれは自分たちの階級を破壊するものだから。
    
自分たちより下の階級である平山からの抗議はそれが正当なものであっても、その抗議自体が秩序=階級を破壊するものなのでこれは相手にしないか無化する。その抗議自体を暴力だということにして相殺する。
     
 おれは、「非暴力の形式」を持たない者である。おれのことばは「叫び」であり「沈黙」である。おれのことばは「死者」のものである。そんなことばは「非暴力の形式」から外れたことばである。 「非暴力の形式」から外れたことばは「二階」の集団にとっては「暴力」でしかない。
   
その「叫び」のようなことばが「暴力的だ」ということであれば、そもそも階級上昇できなかった東九条の住人は、「多文化共生エリア」と関わること自体ができないのだ。 なぜなら産れ育ちの根っこが「暴力」だから。だけどその「暴力」のまま生きれば当然社会では生きていけないし、そんな人生は悲惨な末路にしかならない。だから暴力は洗練させなければならない。 それは「非暴力の形式」を順守することではなく、「非暴力を生きる」ことだ。
  
「多文化共生エリア」の「かしこ」の人たちには東九条の「その他の地域」の人間が野蛮で知性のない未開人に見えるのかもしれないが、人権や多文化共生、そういった理路とは別のやり方でおれは暴力に向き合ってきた。 確かにおれは「非暴力の形式」は守れないのかもしれない。だけどおれは「非暴力を生きている」。多大な犠牲を払った先人たちのその失敗や無念や死を糧にして、非暴力を生きている。
  
現実には東九条には「一階」「二階」という階級・階層構造があり、垂直方向の人間関係であるにも関わらず、「多文化共生」ということばが、水平方向でつながっているという錯視や誤認をさせてしまう。 その錯視や誤認が「乗りこえてはいけない壁」を越えさせてしまう。
   
現実に存在する「階級」を認識しない時、その階級間にある「越えてはいけない壁」を超えてしまうことになる。それはたいてい「上から下」への暴力として現れる。
  
人間には、他人様が軽々に触れてはいけないこころがある
  
のだ。
  
「越えなければいけない壁」は超えてこないくせに、「越えてはいけない壁」は超えてくる。「二階」の人らは、人権や多文化共生はあっても仁義がない。
  
 過去の活動家や運動家の名誉のために書いておくが、昔の、平山が生まれる前から東九条に入って地域のために活動してきた運動家は、 本当に心身が壊れてまでこの地域のために尽くしてくれた人たちがいた、と事情をしる人から聞いた。東九条の「一階」の地域の人間に心身を「壊され」東九条を去った運動家もいる。 おれは東九条の「一階」の住人を美化なんてしない。クズみたいなやつが多かったし、狂った奴も多かった。 狂った人間とまじめに関われば心身が壊れるのは当然で、そこまでして東九条という地域のさまざまな問題に「我が事」として関わってくれた地域外の運動家たちには敬意と謝意しかない。
  
 この連載において平山は「多文化共生エリア」の関係者を散々批判しているが、彼女彼らの活動がこの東九条地域住人に多大な貢献をしていることもまた事実である。 彼女彼らがいなければ、東九条は暗黒のままだった。それは本当に事実である。だからおれは「多文化共生エリア」の関係者にも敬意と謝意をもっている。
  
 東九条地域において、何が何をゆがめてしまったのだろうか。やはりおれは「多文化共生」という「ことば」だと思う。
  
 そのことを考えるために、次回はこの回では言及しなかった、もうひとつの多文化共生、「東九条マダン」について書いてみようと思う。
  
この回を書くにあたって、東九条の歴史にくわしい地域の方から貴重なお話をたくさん伺いました。この回のみならず、本連載を書くことができているのはその方のおかげです。
またこの回を書くにあたっての参考文献を挙げておきます。
  
・地域と共に50年 希望の家創立50周年記念誌 地域福祉センター希望の家
   
・東九条を知るためにー東九条地域の概要と歴史ー 特定非営利活動法人 東九条まちづくりサポートセンター
   
・「複合的振り地域」におけるコミュニティ実践に関する研究ー京都・東九条を中心にー 石川久仁子
   
・都市下層における住民の主体形成の論理と構造ー同和地区/スラムという分離にみる地域社会のリアリティー 山本崇記
   
   
つづく


  

2025年8月23日

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