【連載】『東九条、死者無き多文化共生の行方≪12ー③≫』

東九条とは誰なのか、何なのか? その5

中川眞氏と直接話をし、真摯な反省と謝罪を受け取りました。

中川眞氏と直接話をし、真摯な反省と謝罪を受け取りました。
  
 平山の抗議および連載に関して中川眞氏本人より連絡があり、本日直接お会いして話をしました。 連載において平山が指摘したことを率直に認め、受け止めて頂き、何の誤魔化しも無い真摯な謝罪と反省のことばを頂きました。 抽象的で曖昧な反省ではなく、具体的に何が悪かったのかということを自覚された上での謝罪と反省のことばでした。 個人的なやりとりなので具体的なことは書けませんが、中川眞氏が犯した過ちに対してきちんと責任を果たすという覚悟を受け取りました。
   
 平山の方からも東九条の話やいろんな話をしました。平山の話もきちんと聞いて頂き、受け止めて頂きました。平山は中川眞氏の謝罪と反省を受け入れます。 また、かなり攻撃的な平山の文章をきちんと読んで、それを受け止め、具体的に反省して頂いたことに関して、中川眞氏に感謝します。 
   
 東九条に限ったことではないのですが、「一階の人間」と「二階の人間」が関係するに当たって必然的に起きる抑圧や収奪、つまり「植民地化」の問題があります。 ですが、平山自身がこれまで古今東西のアカデミアが書いた数々の専門書によって救われてきたように、その専門知は「一階」の生活や人生にも必要不可欠なものです。 また、社会そのものの構造として「一階」がなければ「二階」は存在しないのです。身体が無ければ「わたし」は存在できないのと同じく。 「二階」の人間と「一階」の人間は本来、相補い合う関係のはずです。
   
 ですが、現在「一階」と「二階」との分断は互いに意思疎通すらできないところまで来ています。それは分断ではなく、分裂と言ってもよいほどの状況です。 この分裂は人間そのものにとっての不幸です。 平山は本連載において、東九条地域で起きているこの「一階」と「二階」の分裂について考え、そしてどうすればよいのだろうかということを模索しています。 それは「共生」とか「反差別」ということばで「関係性を操作する」ことではなく、人間が人間そのものを生きることにしかその道は見いだせないのではないかと直感しています。 それはヒューマニズム(主義)ではありません。人間そのものです。 そしてその人間そのものを生きるという土台があってこそ「共生」や「反差別」が実現できるのだと感じています。
 中川眞氏の真摯な謝罪と反省に平山は救われました。救われた、というのはその分裂を回復再生するような一歩をお互い踏み出せたのではないかと感じたということです。
   
 中川眞さん、ありがとうございました。

  
   

   

  
  


  

2025年11月14日

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