【連載】 『東九条、死者無き多文化共生の行方≪19≫』

東九条とは誰なのか、何なのか? その5

 『「共に生きる」ことができない「現実」』  その③ 「希望の家」から「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」への変節

   
もとめよ、さらばあたえられん
   
かつて東九条の誰かが「もとめた」のだろう。
   
希望を、
   
家を。
   
だから東九条に「希望の家」があたえられた。
   
かつて東九条の誰かが「希望」を「家」をもとめたのは
   
東九条には「希望」も「家」もないという『「共に生きる」ことができない「現実」』があったからである。
   
それから数十年たって、いろんな人や団体の様々な取り組みや行政の施策によって「家」はできた。
   
だけど「希望」は消えた。
   
「家」だけ残して「希望」は消えた。
   
何故「希望」は消えたのだろうか。
   
「希望」を消した者がいたのだろうか。
   
それとも、もう誰も「希望」を「もとめて」いないからなのだろうか。
   
地域と共に50年 希望の家創立50周年記念誌 地域福祉センター希望の家 p80 真の多文化共生社会を目指してー希望の家のこれからー  地域福祉センター希望の家 所長 前川修 より引用する。
   
以下引用━━━
   
なぜ、希望の家は誕生したのか
   
希望の家は1959年4月30日に下京区屋形町(崇仁学区)で誕生した。 当時の屋形町から東九条にかけては廃材を利用して一夜にして建築される不良住宅が密集する状況だった。 住民は、不安定な廃品回収や日雇い労働に従事し、朝早くから夜遅くまで働いていたが家族を食べさせるのに精いっぱいの生活だった。 子ども達は、学校に帰っても親たちはいない状況だったばかりか、学校に行っていない子供たちも多くいた。 大人は失業や疾病に苦しみ、子どもたちは不就学や低学力、さらには反社会的な行動をとる者も多かった。 希望の家の創立者であるメリノール宣境界のフランシスコ・Aディフリー神父は、1955年に東海道線の車窓からこの状況を始めて目の当たりにして、 「私の仕事は差別をなくすることなのだ」と思い立ち、「あの町の人たちのために、いっしょに働かねばならない」と決心するのである。
   
━━━引用以上
   
「私の仕事は差別をなくすることなのだ」と決心したディフリー神父が創立した「希望の家」は数十年の時を経て現在「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」と相成った。
   
「差別をなくすること」から「多文化共生」へ。
   
この変遷、いや「変節」は東九条という地域に何をもたらしたのだろうか。
   
④京都市地域・多文化交流 ネットワークサロンは、「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会」 が京都市の「多文化が息づくまち・京都」の事業委託をされて運営されている「多文化共生」の施設である。 「地域福祉センター希望の家」から「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」に変わるちょうど節目の時期に書かれた前地域福祉センター希望の家 所長 前川修の文章を引用する。
   
地域と共に50年 希望の家創立50周年記念誌 地域福祉センター希望の家 p81から引用。
   
以下引用━━━
   
希望の家が目指す多文化共生社会とは
今年(2010年)から、希望の家の四度目となる新しい建物の建築工事が開始される。新しい希望の家は、北河原市営住宅と合築される地域施設の中に入ることになる。 地域施設では、地域集会所と新生活館、そして希望の家が同居することになる。 地域集会所は地元の活性化のために活用され、新生活館はこれまでの隣保施設から多文化共生施設へと移行される予定である。 希望の家の事業も、この「多文化共生」を前面に押し出していかなければならないが、これまでの希望の家と異なるものになるわけではない。 地域で誕生し、地域と共に協力して発展してきた希望の家であるので、この「多文化共生」をすでに内包していると言える。
 本記念誌に記録された希望の家の50年を要約するならば、希望の家は、地域と共に差別をなくすための多文化共生社会をつくることを目指してきたと言えるのではないだろうか。  希望の家は、この姿勢を貫きとおさなければ、新しく建て替えをおこなう意味もなく、施設が新しくなっても希望の家ではなくなってしまう。
   
━━━引用以上
   
これを読むと「地域福祉センター希望の家」が「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」に変わったのかのように読めるが事実はそうではない。 現在においても「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会」の中に「地域福祉センター希望の家」と「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」は別の事業として並列して存在してる。 組織としてはそのような構成になっているが地域住人や関係者の 「心理的な認識」としては「地域福祉センター希望の家」が「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」に変わったと認識されている。 前川修の文章もそのような「心理的な認識」のもとで書かれている。実際、東九条地域住民からは「希望の家は変わった、変質した」という声も聴く。 なので、本連載では事実ではなく、心理的認識としての「地域福祉センター希望の家が京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」に変わったという「物語」として読んでいく。
   
前川修の文章には
   
>希望の家の事業も、この「多文化共生」を前面に押し出していかなければならないが、これまでの希望の家と異なるものになるわけではない。
   
とあるがこれは虚偽である。実際には「これまでの希望の家と異なるもの」になっている。
   
平山は本連載を書くに当たって複数の地域住人や関係者から東九条について様々な話を聞いた。もちろんその地域住人の方々の名前を明かすことはできないし、 話の内容の具体的なことを詳細に書くことはできない。東九条という地域についてどう思っているかはみな様々で、意見もバラバラなのだが、みな共通して言う事がある。
   
「希望の家は変わった。神父さんやシスター、黒田さんがいた時代がいちばん地域住民のために働いてくれていた」
   
「いちばん頑張ったのは宇野(豊)さん。前川さんは後からきて宇野さんの功績に乗っかっただけ」
   
「前川さんが所長になってから希望の家は変わってしまった。地域の声を無視して聞かなくなった」
    
これは、平山が聞き取りをした地域住人および関係者たちの「声」である。
   
平山にはこの地域住人の「声」を具体的に裏付けを取って実証する手立てはない。あくまで、こういう声があるということしか書けない。 と言う意味では上記の「声」は「うわさ話」のような類のものである。
   
本来、そのような「うわさ話」を書くべきではない。
    
が、おれはこの「うわさ話」のような、「うめき声」のような、怨嗟ような、諦めのような、ため息のような、声なき声を、確かに聞いた。
    
だから書く。
    
それは、「希望によって」無視され排除され無かったことにされ続けた声だからだ。
   
地域住人たちは言う。
   
「希望は変わった」「希望はもうちがう」「希望はあかん」「希望は排除している」「希望は差別している」「希望は…」「希望は…」「希望は…」
    
東九条地域の人は、親しみを込めて「希望の家」のことを「希望」と呼ぶ。
   
だが、「希望は…」に続くことばはそのほとんどが暗く否定的なことばである
   
今や「希望」は、地域住人を排除する存在でしかない。
    
「希望」に排除されること。こんなに悲しい事があるだろうか。
    
「希望」に希望をもてないこと。こんなに痛ましい事があるだろうか。
   
この東九条「一階」の地域住人の声は決して表には出てこない「声」である。 そしてこの「声」は「二階」の世界の人間にとっては「ノイズ」でしかない「声」である。 希望の家といえばあくまでディフリー神父の話から始まり、二代目三代目に続く神父さんやシスターが地域のために身を粉にして活動した実績だけが語られ、 それが現在の「東九条の多文化共生」の礎になっている、という「物語」が語られる。それは決して嘘ではない。 だけど、それはあまりにも「希望の家≒京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」にとって都合のよい物語にすぎる。 それは「二階の世界」だけで語られる「物語」にすぎない。 そして「一階」では「物語」にすらならない、怨嗟のような、諦念のような、うめき声のような「うわさ話」だけがため息とともに宙に消える。
   
そんな複数人から聞いた「うわさ話」からひとつ。何の裏付けも無い、根拠も無い「うわさ話」にすぎないが、
   
平山が浜辺ふうに怒声をあびせた「東九条春まつり」。 この「東九条春まつり」は現在は京都市およびネットワークサロンが主催のまつりであるが、そもそもは地域住人と希望の家がいっしょに始めたまつりたという。 だから最初の頃は東九条地域住人が営む商店なども春まつりに出店していたのだが、希望の家が「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」になってからしばらくして地域住人の商店は春まつりには参加できなくなった。 ネットワークサロンの「登録団体」だけが参加できるまつりになってしまったのだ。「多文化共生」のために東九条地域住人は「排除」されたわけである。 そしてこれを決めたのは前川修だという。冒頭の地域と共に50年 希望の家創立50周年記念誌 地域福祉センター希望の家 p81の前川修の文章をもう一度引用しよう。
   
>希望の家の事業も、この「多文化共生」を前面に押し出していかなければならないが、これまでの希望の家と異なるものになるわけではない。地域で誕生し、地域と共に協力して発展してきた希望の家であるので、〈略〉
   
この「春まつり」の一件だけでも前川修が大嘘つきだということがわかるだろう。 「希望の家」が「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」になって明確に「これまでの希望の家と異なるものにな」っているのである。
   
前川修=希望の家の「変節」はこれだけではない。 地域住民が今まで借りることが出来た用途で施設が借りれ無くなったり、これまで実施していた希望の家の福祉事業もどんどん縮小し、地域住人がそれに抗議しても前川修は一切無視。 「前川修=希望の家→京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」は、東九条地域住人を明確に排除している。多文化共生の名のもとに。
   
前川修が自ら書いた、
   
>地域で誕生し、地域と共に協力して発展してきた希望の家
   
は「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」となることで、東九条地域を切り捨て排除した。 「二階」の世界に階級上昇して「多文化共生」と成り上がった今や東九条地域はもう用済みだということだ。 もちろん、今もなお前述した「地域福祉センター希望の家」は事業をかつてより縮小したかたちで続けている。その恩恵を受けている地域住人もいる。 「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」も何らかの形で東九条地域に貢献しているのだろう。 ただしそれは、「自分たちが助けたい人だけ助ける」「地域住人には主体性を発揮させない」「地域住民はただ助けられるだけの存在として」関わるという前提のもとである。
   
「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」はそもそも地域福祉のための「希望の家」とは違い、「東九条地域」のためのものではない。 京都市の多分共生施策推進のための施策である。ネットワークサロン事業もはじめは京都市の「地域福祉課」が担当していたがその後「国際推進室」が担当することになる。
   
「地域福祉課」から「国際推進室」へ。
   
つまり「希望」から「多文化」への変質は「福祉」から「多文化共生」へという変質でもある。ここで、地域住人との齟齬が生じるのは当然だろう。 東九条地域住人が「もとめ」ているのは「福祉」であって、「多文化共生」ではないからである。
   
そしてこれが重要なことであるが、「福祉」から「多文化共生」への変質とはつまり「一階」から「二階」への変質を意味する。 つまり、希望の家は「一階」から「二階」へと「階級上昇」したのだ。だからこそ、 「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン≒前川修」は東九条地域「一階」の住人を切り捨て排除する大義名分を得た上で排除したのである。
   
それは先に書いた「東九条春まつり」の件が象徴的である。 そもそも東九条「一階」の住人も参加できていた東九条春まつりから「一階」の住人を排除し、東九条春まつりには「登録団体」しか参加できないように前川修がしてしまった。 その「登録団体」とは何か?「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」ホームーページから引用する。
   
以下引用━━━
   
京都市地域・多文化交流ネットワークサロン
~団体登録にあたって~
   
1.「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」とは
「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」(以下「ネットワークサロン」といいます。) では、京都市からの委託により、社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会が、東九条の特性を活かし、地域交流や多文化共生を促進するためのとりくみを行っています。 また、地域交流や多文化共生を目的とする団体がネットワークサロンに登録することにより、その活動がより活性化するためのお手伝いや、団体間の連携・交流を深める活動も行っています。
   
2.団体登録について
ネットワークサロンに登録した団体は、次のようなサービスの提供を受けることができます。併せて団体の特性や活動内容に応じた形で、ネットワークサロンの運営にご協力いただきます。
   
…〈略〉…
   
3.登録できる団体
次の要件を充たしている団体であれば、ネットワークサロンに登録することができます。

地域交流や多文化共生を目的とする団体

趣味のサークル活動等ではなく、地域への還元や貢献が認められる団体

利益を主たる目的としない団体

政治・宗教を主たる目的としない団体

実質的な活動をおこなっている団体

暴力団またはその関係者の統制下にない団体

公序良俗等に反しない団体
   
━━━引用以上
   
さて、
   
>3.登録できる団体
   

趣味のサークル活動等ではなく、地域への還元や貢献が認められる団体
   
とあるが、「地域への還元や貢献」ができるような活動をするにはやはりある程度の知性、教養、社会性、「非暴力の形式」を身に着けてなければならず、それは東九条地域の非大卒者である「一階」の世界の人間には難しい。 「登録団体」に登録できる条件からしてすでに「一階」の人間は暗黙のうちに排除されている。 事実、「登録団体」をざっと眺めてみればやはりみな「二階」の世界の団体である。
   
そして
   
>3.登録できる団体
次の要件を充たしている団体であれば、ネットワークサロンに登録することができます。

地域交流や多文化共生を目的とする団体
   
である。
   
「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」は京都市行政の多文化行政施策を実施する施設である。 すなわち「多文化共生」を目的とする団体とは、「京都市の多文化共生施策に従う」団体だけが「登録団体」になれるということを意味する。 それはこの施設の趣旨からして当然だといえば当然なのだが、であるならば京都市行政に対して批判的な団体は「登録団体」にはなれないし、この施設を利用することはできないということである。 東九条地域住人やかつて東九条にあった地域の青年たちの団体は京都市行政に批判的でかつ抗議活動をしていた団体もあった。 そのような団体は当然「多文化共生」的ではないということで「登録団体」にはなれないだろう。 つまり京都市行政に対して親和的で従順であり抗議活動などしない団体だけが「登録団体」になることができるという、要は「思想検査」のようなものが「登録団体」加入の条件の中にすでに仕込まれているわけである。 その「思想検査」をするのは当然、施設長の前川修である。
    
2025年4月26日の「東九条春まつり」において、レイシスト浜辺ふうに対して抗議した平山に、施設長前川修は「警察呼ぶぞ」と排除をした。 その後も、浜辺ふうの活動がなぜ差別なのかをきちんとことばで筋立てて論証した平山に対し、前川修は「ふうちゃんみたいな良い子が差別をするわけがない」と擁護したように、 例え差別的な活動をしていても「登録団体」の前川修が気に入っている身内は徹底して守るという恣意的な対応をする。 一方「反差別」を訴える平山の訴えは全て無視してその存在ごと一方的に排除される。
   
つまりその言動や存在が「多文化共生」かどうかは施設長前川修の匙加減ひとつで決まるわけである。 「多文化共生」の定義が明文化された明確な基準も無く、人格の歪んだ独裁者の決裁ひとつで決まるというのは危険極まりないことである。
   
前川修は東九条地域「一階」住人を排除し続ける。なぜなら東九条地域「一階」の住人は「多文化共生」ではないからである。 もはや「多文化共生にあらずんば人にあらず」であり、前川修が気に入らない人間は、人間として存在できない、という「構造」を前川修は「東九条多文化共生エリア」に作り上げた。 これが、希望の家が「福祉」から「多文化共生」への「変節」で起きたことがもたらした弊害である。
   
「東九条多文化共生エリア」において「一階」の地域住人は人間扱いされていない。「主体性」を奪われた状態を強いられているからである。以下にそれを見ていこう。
   
「福祉」から「多文化共生」への変節とは「一階」から「二階」への変節であった。 希望の家は「一階」から「二階」へと階級上昇した。 だが、当然だが東九条地域住人は「一階」のままである。「希望の家」だけが「二階」になった。ならば「排除」や「切り捨て」が起きるのはある意味当然の帰結である。 「一階」と「二階」は世界自体が違う世界のなのだから。
   
「東九条春まつり」は東九条という地名が付いているものの、それに主体的に参加できるのは「登録団体」だけである。 もちろん、お客さんとして当日「東九条春まつり」に来場することはできる。 だけど、「東九条春まつり」において主催者側として実行委員会に参加して主体性を発揮できるのは、施設長前川修が「認可」した、「二階」の「登録団体」だけである。
   
これこそが東九条地域における「多文化共生」の真の問題である。「多文化共生」において、真の意味で主体性を発揮できるのは「二階」の世界にいる人間だけである。 「多文化共生」においてその意思決定やその過程に「一階」の人間は関わることはできない。 「一階」の人間はあくまで、「教育される者」「福祉サービスを受ける者」「助けられる弱者」「イベントにやってくる観客」としてしか存在を許されていないのである。 こんなおかしなことがあるだろうか?人口は減って来たといえど、この東九条地域で実際に生活をし、東九条という現実を生きているのは「一階」の住人である。 その東九条地域住人が主体性を発揮できないような状態にするというやり方、これは「多文化共生による地域住人への奴隷化、植民地化、非人間化」そのものである。
   
平山が異常なまでに「多文化共生」に対して批判しているのはこの現象についてである。「多文化共生」は「二階」の世界のものであるがゆえに、「一階」の人間から主体性を剥奪する。
   
東九条「多文化共生エリア」において主体性を発揮できる人間は前川修が認可した「登録団体」だけ。まさに前川修独裁による「東九条多文化共生階級社会」が東九条多文化共生エリアには現として存在する。
   
東九条地域「一階」の人間は多文化共生を実践する「二階」の人間の自己実現の道具でしかない。 それはすべて「多文化共生」の美麗字句のもとにおこなわれる。そして「多文化共生」には「予算」がつく。「二階」の人間からすればこんなに「美味しい」話は無いだろう。
   
前川修は、京都駅東南部エリアを再開発しようとしている京都市にとっても都合がいいのである。京都市に代わって前川修がめんどくさい地域住人を排除し、主体性を剥奪してくれるからである。 人間から主体性を剥奪するというような「非人間的」な仕事は「虚無」そのものである前川修だからこそできる仕事である。 ふつうの人間ならこんな非人道的なことはできない。前川修とはある意味、「時代が選んだ虚無」である。それは「希望」の対極である。 かつて希望の家の黒田シスターが前川修に対して言っていた「あの人は何かおかしい。気をつけなければならない」ということばはまさに慧眼だったのだ。
   
では、結局のところ、「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」にとっての東九条地域における『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのか?
   
そんなものは何もない。
   
「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」にとっての「多文化共生」とは「仕事」にすぎない。京都市行政の多文化共生事業を受諾した、その「仕事」にすぎない。
   
だから、実質京都・東九条CANフォーラムの「多文化共生のための多文化共生」と大きな違いはない。 違いと言えば、「ネットワークサロン」は京都市から事業業委託された仕事としてやっている、京都・東九条CANフォーラムは事業を受注できなかった。 その違いだけである。実際、CANフォーラムもこの京都市の多文化共生事業を受託しようとしていたのである。 だが、同じ東九条内で争いが起きてはいけないということでCANフォーラムが手を引いた。 それだけのことである。京都市から事業委託されて「予算」がついた方は活動を継続できたし、「予算」が付かなかった方は活動を継続できなかった。 だがどちらも「多文化共生のための多文化共生」であることには違いはない。 違いといえば京都・東九条CANフォーラムは「一階と二階が著しく乖離した多文化共生」だったが、 「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン=前川修」の場合は「積極的に意図的に地域「一階」住人を排除差別した多文化共生」だといえるだろう。
   
まとめよう。
   
「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン=前川修」の多文化共生とは、
   
「積極的に意図的に地域「一階」住人を排除差別した多文化共生」という「虚無」
「多文化共生のための多文化共生」という「虚無」
「「現実」無き多文化共生」という「虚無」
   
である。
   
つまり「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン=前川修」もまた「多文化虚無生」である。
   
改めて東九条地域における多文化共生を見てみよう。
   
①「希望の家カトリック保育園」の多文化共生保育。…実体や必然性がある「多文化共生」
②「東九条マダン」の多文化共生のまつり…実体や必然性がある「多文化共生」
   
③「京都・東九条CANフォーラム」の多文化共生のまちづくり… 実体無き「多文化虚無生」
④「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」のビジネス多文化共生…東九条地域を排除し非人間化する「多文化虚無生」
   
と、東九条地域には「実」と「虚」の二つの「多文化共生」があることがわかる。
   
現実問題として、東九条地域もかなり人口は減って来たし、東九条地域自体の「問題」の内容も質も変化してきた。 だから「希望の家」が変質するのもある意味時代の変化を反映している。だが問題はやり方だろう。 地域住人を一方的に排除し、主体性を発揮させないような構造を作って隠然と支配抑圧するようなやり方を「多文化共生」の名のもとにやっているのだから、それが非難されるのは当然である。 「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」や「地域福祉センター希望の家」が属する「カリタス会」にとってみれば東九条地域とはビジネスのための対象でしかない。 ディフリー神父のような義侠心や「差別をなくしたい」という想いがあるわけではない。ビジネスにすぎない。 でもおれはそれが悪いとは思わない。ただ、ビジネスならば、ちゃんと仕事しろやという話である。
   
しかし前川修は「仕事ができない」。これに尽きる。前川修の人格が歪んでいて嘘つきで卑怯者だったとしてもそんなことはどうでもいい。ただ「仕事」をちゃんとやってくれればそれでいい話である。 だが前川修は仕事ができない能無しだから希望の家時代から地域住人から抗議されるような状況になっているのだ。 逆に言うならば、能力も無いくせに責任ある立場につくからこそ人格が歪んで嘘をつき卑怯なことをせざるをえなくなるとも言える。 何にせよ前川修は立場に見合った仕事ができないのだから、「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」の施設長を即刻辞めるべきである。 このままでは地域住人も不幸だし、ネットワークサロンで働く職員も不幸である。 そもそも、東九条地域住人を抑圧し、排除して、京都市の「幅広い多文化共生」の施策を歪めているのは前川修という虚無である。
   
2018年1月1日発行の京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン通信 24号 http://kyotonetworksalon.jp/publication/pdf/024.pdfから引用する
   
以下引用━━━
   
東九条と文化芸術
   
京都市は、昨年の4月に「京都駅東南部エリア活性化方針」を策定しました。 ネットワークサロンは、この京都駅東南部エリア(東九条東北部)の中にあるため、事業内容を活性化方針に連動させることが多くなっています。 活性化方針は、京都駅東南部エリアのまちづくりに「文化芸術」という新しい視点を取り入れ、「若者」を中心とした人の流れを生み出し、エリアの人口減少や高齢化に歯止めを掛け、 京都駅周辺と京都全体の活性化につなげようとするものです。
東九条は人が住む地域であるため、「文化芸術」が新たに入って来ることは、住民にとっては違和感のあることだと思います。 しかし、ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ作りを「文化芸術」と捉える直すことが出来るのならば、新たに入って来る「文化芸術」は違和感のないものになります。 東九条に元々あった「文化芸術」と新たな「文化芸術」が融合し、更なる「文化芸術」を生み出していくことが、これからの東九条のまちづくりだと考えています。 (前川修 京都市地域・多文化交流ネットワークサロン)
    
━━━引用以上
   
前川修らしい卑怯で卑屈な文章である。>ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ作りを「文化芸術」と捉える直すことはできないし、 その「捉え直し」こそが文化芸術による「市井の人間の生活」の収奪と「植民地化」である。 そんなこともわからずに何が>ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ作りだ。ちょうしのんな虚無が。 「多文化共生」による東九条地域の植民地化を率先して進めている前川修にとっては気の利いた文章を書いたつもりになっているのだろうが、自らの卑しい植民地主義的性根をさらけ出したにすぎない。 この文章には前川修の本性と薄気味悪さと薄っぺらさが凝縮されている。 東九条に何十年と関わってきて、>ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ なんていうどこまでも薄っぺらいことばが出てくることが、まさにおまえのこころの無さと虚無性をよくよく現わしている。
   
それはさておき、この文章において前川修は「ネットワークサロン」は事業内容を、京都市の新たな施策「京都駅東南部エリア活性化方針」に連動させることが多くなる、と書いている。 つまり、「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」は多文化共生施策のみならず、京都駅東南部エリアの「アート化」の施策も実施していくということが書かれている。
   
多文化共生+アート
   
である。
   
さて、同じ号のネットワークサロン通信のからもうひとつ文章を引用する。
   
以下引用━━━
   
~はじめまして、HAPS(はっぷす)です~
私たちは、京都市内の若手芸術家をさまざまな面で支える活動をしています。 今年度、ネットワークセンターが立地する京都駅東南部エリア(*1)で、「文化芸術」と「若者」を基軸とした新たなまちづくりに向けて地域を盛り上げていくため、 京都市から委託を受け(*2)「京都駅東南部エリア アート・トライアル2017-2018」と称してワークショップやイベントを企画運営しています。
   
以下〈略〉
*1…南区山王学区の竹田街道より東側の7箇町。
*2…京都市が2017年3月に策定した「京都駅東南部エリア活性化方針」に基づく、京都市からの委託事業。
   
━━━引用以上
   
と、「京都駅東南部エリア活性化方針」に基づく京都市からの委託事業を請け負ったアートに携わる一般社団法人がこの時期を同じくして「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」の登録団体になっている。 一般社団法人HAPSのホームページhttps://haps-kyoto.com/social_inclusion/には
   
以下引用━━━
   
アートと共生社会
   
文化芸術の可能性を追求し、共生社会のあり方を探る。
   
HAPSは、京都市より2017年度「文化芸術で人が輝く社会づくりモデル事業」、2018年度「文化芸術による共生社会実現のための基盤づくり事業」を受託し、実施しました。 これらの事業は、文化芸術の力を活用して、多様な背景をもつ人々が、共に生きることのできる社会のあり方を探り、その仕組みづくりを目指すものです。
   
━━━引用以上
   
とある。
   
2018年度「文化芸術による共生社会実現のための基盤づくり事業」を受託したHAPSが、
2018年にネットワークサロンの登録団体になり、
2018年のネットワークサロン通信で前川修が>ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ なんて話をもちだして、
>ネットワークサロンは、この京都駅東南部エリア(東九条東北部)の中にあるため、事業内容を活性化方針に連動させることが多くな
ると宣言したこと自体におれは何か深読みしているわけではない。
   
東九条地域で活動する、
   
(多文化)共生+アート
   
の団体。
    
おれが興味があることはただ一つ。「共生」ということを謳って活動するこのHAPSという団体にとっての 『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのか?である。
   
あの、貧困と、差別と、暴力と、収奪が吹き荒れていた東九条が今や「文化芸術による共生社会実現」だなんだと言う。時代も変わるもんだ。
   
連載次回は、アート系共生における『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのかについて書いてみようと思う。
   
が、その前に、もういちどだけ、後ろをふりかえってみよう。
   
地域住人が親しみをこめて「希望」とよぶ「希望の家」は1955年、ディフリー神父の「私の仕事は差別をなくすることなのだ」 「あの町の人たちのために、いっしょに働かねばならない」という想いから1959年4月30日に下京区屋形町(崇仁学区)で誕生し始まった。 その「希望の家」は、数十年の時を経て、四度の建て替えを繰り返し、京都市の多文化共生施策と連動する形で2011年7月に「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」と相成った。 福祉から多文化共生へ。その「変節」において「希望は変わった」「希望はあかん」「希望は排除している」と地域住人が語るように、希望は失望へと変わった。 そんなことは我関せず、2017年京都市が策定した「京都駅東南部エリア活性化方針」に従って京都駅東南部地域の「アート化」施策にもネットワークサロンは連動して邁進することになる。 「多文化共生」から「多文化共生+アート」へ。「一階」から「二階三階」の世界へと、東九条地域住人を排除しながら「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」は進んでゆく。 この「失望の家」を見て、ディフリー神父やマンティカ神父やロペス神父、黒田シスターはどう思われるのだろうか。
   
最後に、東九条地域住人たちのしぼりだすような呻き声を書いてこの章を終わる。
   
「希望はもういらない」
   

   

   

   

   

  
  


  

2025年12月7日

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