【「破滅の勝ち馬」と「別の勝ち馬」】

   

「破滅の勝ち馬」と戦う側の者が、「別の勝ち馬」になろうとした。
だから負けた。
   
「破滅の勝ち馬」に勝つには、勝ちにいかなければならない。相手を打ち負かさなければならない。それが「負け戦」でも本気で勝ちにいかなければならない。
   
なのに、自分が「別の勝ち馬」になろうとして、負けた。
   
有権者がアホだ、国民が愚かだというけれど、それは違う。絶対に違う。
見透かされただけ。ああ、こいつ勝ちに行ってないな、「別の勝ち馬」になろうとしてるだけだな、ということが。そんな奴、支持も支援もされるわけがない。
左リベラルのエリート層が内心見下している底辺者層は、たしかに知性で劣るのかもしれない。 だが、ケンカを勝ちに行ってるか、単に勝ち馬になりたいだけの奴かはちゃんと見て判断している。その上、本来の支持者からも見捨てられた。
市井の人は「破滅の勝ち馬」と「別の勝ち馬」なら「破滅の勝ち馬」を支持する。それを反知性だとか愚衆だというのかもしれないけれども、それはちがう。 「別の勝ち馬」は「破滅」以下の「無」だからだ。
それでも「無」を選ぶのが知性だというならそうかもしれないが、そこまでオシャレな人はそうそういない。
まず「破滅」したのは、「別の勝ち馬」になろうとした者たちだった。
「負け戦」を本気で戦わなかった。だから消滅した。
今回の大敗北、いや「消滅」で明確にわかっただろう。 「破滅の勝ち馬」と戦う側は「負け戦」を真剣に戦わなければならないという事。 「別の勝ち馬」になろうとするのではなく、「負け戦」を勝ちにいかなければならないという事。
   
でな、みんなまじめすぎるんよ。「負け戦」を真剣に全力で戦うってのは「遊び」なんよ。 殺されかけたら逃げればいい。命がけで逃げればいい。おにごっこよ。 相手は「破滅の勝ち馬」なんやから、まずはその「破滅」に巻き込まれないことよ。 でも、そこで「勝ち馬になろうとする奴」は必ずその「破滅」に巻き込まれるから。 だから、実は「負け戦」を真剣に戦う/逃げることこそが、「破滅」に巻き込まれないための道であり、「場」なんよ。 まず、「別の勝ち馬になろうとした奴ら」は破滅に巻き込まれて消滅した。
これをありがたい他山の石として、これからやることはひとつ。
おのおの生活の場で、「負け戦」を全力で真剣に戦う/逃げること。
そしてそれは、真剣な「遊び」や。「遊び」だからこそそこに花がある。花が咲く。
   
花はよわい。
   
だからいい。
   
よわさに立つことこそが「負け戦」をたたかうこと
   
よわさに立っている命こそが花なのだから、
   
よわさから立ち上がってくる力こそが花なのだから。
   
破滅の中で花として咲く
   
こんなおもろいあそびは
   
この時代にしかできんやろ



  

  

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