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『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』

【読書感想文】
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』
高橋 和巳
筑摩書房
「何をしている人なのですか?」と聞かれるといつも困る。私は絵を描くが芸術家ではないし、文章を書くが物書きでもない。只、何の為にやっているかと問われれば、「在る」為に、とは答える事はできる。 幸せのかたちは様々だけど、ひとつ言えるのは「在る」事さえできればもうそれだけで人は無条件に幸せなのだ。幸せという表現は本当は違うのだが話を分かりやすくする為にとりあえず幸せという表現にする。 人がどんなことを成しえても、どんなものを所有しても、在ることができなければ幸せではない。 この「在る」ことが難しい。何故なら社会から外れなければ「在る」ことはできないから。「在る」ことは社会と軋轢を生むことさえある。また「在る」事で社会的に報われる事は無い。 売れない、モテない、無かったことにされる。それでも私は在りたかった。それが本当の幸せだと何故か知っていたから。
 本書『消えたい』を初めて読んだのは二年ほど前だと思うが、私の考えや生き方は間違っていなかったと思えたと同時に私のような「在りたい」者がどうやって社会と関わればいいのかという事の一助になった。 「在る」だけでは生きてはいけない。「関わる」事も必要なのだ。私は関わる事がとても苦手だが。
 私は医者ではないので自身や他人が被虐待者だったのかどうかという判断は下せないのだけれども、誰しもが言わないだけで、また抑圧しているだけで多少なりともこどものころに精神的、 肉体的な暴力にさらされた経験が在る。その体験は多少なりともその後の人生に影響を及ぼす。だから本書は「刺さる」 著者は被虐待者の「常識」から外れた言動から、その被虐の体験を単なる悲惨な出来事だというだけでなく、そこに「普通の世界」とは異なる存在の様式の違いを見出す。 本書では被虐待者を畏敬の念をこめて「異邦人」と呼ぶ。「普通の世界=相対」に生きる普通の人と、「周辺の世界=絶対」に住む異邦人。 もちろん二つの世界を隔離する為に分けている訳ではない。全く異なる世界、存在の様式があると認識する事で安心してこの二つの世界を行ったり来たりする為である。 何よりそれは被虐待者の回復の為である。そしてこの二つの世界が在るという認識は「普通の世界」に住む人にとっても救いになるはずだ。
   
p265「生き物としては生きたいという本能がある。〈略〉しかし社会的に生きて行こうとすると「死にたい」とか「消えたい」が出てくる」
  
私自身は死にたいとか消えたいとまでは思わないがこの感覚は分かる。他人や社会と関わり過ぎて「存在」している感覚が消えるとつらい。社会から避難したくなる だけれども他人や社会とは関わらざるをえないし、また他人や社会と関わる事の喜びも大いに在る。だから私は「存在」しながら他者や社会と「関係」するという矛盾した営為を模索している。 とても難しい事だけどそれは「普通の異邦人」になることなのかもしれないし、「周辺的中心」になる事かもしれない。 異邦人ではない普通の人も存在と関係とのバランスには悩む訳で、故に本書はどんな人が読んでも何か重要な知見を得る事ができる。 専門知識が無くとも読めるようになっているし、さらっとすごい事が書いてある。何度読んでも発見がある。そしてやさしい。いつも思うが、厳しい人の書くものは、やさしい。
 本書を初めて読んだ時、よくぞこれを書いてくれたと思った。しかも普通の側の人が。そうなんだ、普通とは異なる世界の在り様が在るのだと。 そういう話をすると胡散臭く思われるし、主観の話だから上手く伝わらない。本書は絶対に理解し合えない異なる世界に橋を架けた、と思う。 虐待をされていても、されてなくとも、どんな病気の人も障害の人も、普通の人にも、普通じゃない人にも、こどもやかつてこどもだった人にも、多くの知見や発見をもたらす本だと思う。 甘くは無いが、やさしい本。
  
2022年8月21日 記

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