
【読書感想文】
「自覚の精神病理 自分ということ 木村敏 紀伊国屋書店」
自我。「わたし」。自我があるから人は苦しい。それは確かにそう。
だから人は狂気が解放をもたらしてくれるように思えて意図的に狂おうとしたり、
意図的に自我を捨てたり自我を破壊したりしようとする。だが、自我ほどありがたいものはない。
自我があるからこそ「わたし」はわたしでいられる。自我があるからこそ世界は世界として存在するのだから。
だから狂気にあこがれるなんてとんでもないことだ。本当に狂っている人はその狂気によって本当に苦しんでいる。
その狂気の檻の中の苦しみに比べればこの自我や「わたし」が「わたし」であることの苦しみなんてものは屁でもない。
それはさておき、では自我とは結局一体何なのかといえばそれは人間ひとりひとりによって答えは違うが多数の症例を通して本書による自我論は自我にとどまらず
人間とは何なのか、人間が人間であるということはどういうことなのかということに肉薄する。
本書から引用する。
p53───
「自分がある」ということと、「(対象的に考えられた)物がある」ということとは、共に「ある」という言葉を用いながら、
けっして単純に同列に解されてよいものではない。
真に主体的な意味での「自分がある」ということは、対象化された「自分というもの」があるということではなく、
「自分ということ」が成立しているという事態をさしているものと考えられなくてはならない。
そして、この「自分ということ」は「自分というもの」の存在によってただちに成立していることではなく、
むしろ自己以外ののいろいろなもの─一般的に言って世界─がいまここで自分にとって「ある」ということにおいて、
世界の側から照らされるようなしかたで成立しているのだという事ができるのである。
───
p59───
私は、離人症という症状は、生と死とのいわば中間にあるもの、しかも生よりはむしろ死の方への傾斜をもったものだと言えると思う。
それはいわば、肉体の死を伴わず、精神の死をも伴わない、純粋な自我の死である。…(略)…肉体および精神は(あるいはこれを身体および心はと言ってもよい)、
より源泉的な一つの事態が世界に向かって自己を表わす二つの異なった仕方だ、と解しておきたい。
そしてこの「より源泉的な一つの事態」とは、われわれがこれまで繰り返し述べてきた「自分ということ」がそこにおいてあるところの場所のことにほかならないのである。
これを簡略に「自我」と呼ぶとき(もちろんこの言葉は誤解のおそれに満ちた不適切な用語であるが)、
離人症は肉体および精神の死を伴わない純粋な自我の死だということができる。
しかも、それは自我が自ら求めて招いた死であるから、自我の自殺だと言ってもよい。
離人症の患者は、自分自身の根源的な自我を殺すことによって、肉体および精神が世界に現われ出ていることを無意味なことにし、
それと共に世界そのものからもその意味を奪うのである。それは、人間が自らの置かれた耐え難い現実に対して試みる、
消極的ではあるがある意味では極めて純粋で誇り高い抵抗であると見ることができよう。
───
自我ということばは単に意識的な「わたし」として使われることが多いしその場合自我は無意識と対立する意識のように扱われる。
もちろんそのモデルはそれはそれで良いところもあるのだが、
本書のように自我が時間や空間や意味、世界そのものが成立する「より源泉的な一つの事態」であるとするならば、
自我というものが人間にとってかけがえのないものであるということが体感できるだろう。
引用した箇所だけを読んでもそれは重みをもっては伝わらないので実際に本書に記述されている症例を通して読むと自我の重要性は迫真にせまるものがある。
本書はページを進むごとに自我論はさらに深みを増し、愛の問題、ナルシシズムの問題、そして「気」の問題にまで至る。
自我ということは単なる「わたし」ではなく世界や生命や自然と関わりかつそれを成立させるのに不可欠な場なのだ。
冒頭に書いた自我があるから人は苦しいというのは確かにそうだが実はそれは自我に対する不当な誤解が元になっているのではないか、とも考えられる。
確かに自我は他者と対立する、心と対立する、自然と対立する、世界と対立する性質がある。
対立するからこそ「自我」が形成されるし、そのことの重要さは本書でも
p166───
自己の個別性の自覚はけっしていわば先天的に、個別的身体とともに与えられているのではない。
自分が自分になりきるためには、人はまずこの気の領域で他人との同一性から改めて自己自身を奪いかえさなくてはならない。
───
と記述されているのだが、やはり対立する事は非常に苦しい。
だけれども対立だけではなく、自我が「より源泉的な一つの事態」であることを意識し、その生を生きるならば自我そのものが僥倖であり、
神秘そのものであり、喜びに満ちたものとなるのではないだろうか。それは他者と対立することも含めて。
木村敏さんの本は難解だし、その内容をちゃんと理解できているわけではないのでこうして読書感想文を書くのもおこがましいのだけれども、
何度も何度も木村敏さんの本には救われたし、今までたくさんの示唆や知恵をその著書を通じて得ることができた。
木村敏さんの本は難解だけど、でも常に患者さんへの想いに貫かれている。
行間からにじみ出るその想いとやさしさに触れて何度も目を閉じることがある。
木村敏さんの著作はすべて頭ではなく胸に響く。本書は木村敏さんの数ある著作のなかでも割と読みやすい部類だと思うし、
かつナルシシズムや気の問題にも触れていて非常に大切なことがたくさん書かれている名著だと思う。
精神分裂病や自閉症について書かれた本だけど、自我に苦しみ懊悩する人にとっても救いとなる一冊。
2024年12月10日記す