
【読書感想文】
『死と狂気ー死者の発見ー 渡辺哲夫 筑摩書房』
>引用 p005
死の問題は哲学に委託された。死者の問題は宗教に委託された。そして狂気の問題は医学に委託された。不毛な分裂、安易な分担が起こったのである。
ーー引用以上
何か人と、関わるとき、話をするとき相互理解や受容をするためには「主観性」や「客観性」が必要になるし、相手を尊重するためには「他者性」が必要になる。
この三つそろえばこころやさしき良識ある社会人だ。
だけど、何か足りない。以前からずっと思っていた。主観性、客観性、他者性…あと一つ、…それは「死者性」だとこの本を読んで明確にことばとして感得した。
30代のころある非常に苦しい出来事があって、それ以来この身体は死者そのものだと強く実感したことがある。
自分は死者によって生かされているし、この身体は死者そのものなのだと。その時に「死者よよくきけおまえは死んでいる」という歌が身体から出てきた。
必然性があってそのようなことばが出てきたのだが、この本を読んでその歌の本当の意味…というか作用がわかった。
おれはこの時明確に死者性を得たのだ。この歌が出てきて数か月後に祖母が亡くなった。
あの時おれの身体と祖母の身体は確実に重なっていたし、そしておれは狂った心身を生きた祖母をきちんと死者にすることができたのだ。
それは祖母だけではなく、今のおれに連なる血族全てを、だ。だからおれは今狂わずにすんでいる。
本書を読むと、死、狂気、死者、他者、死体、肉体、主体、言葉、時間、信仰…が、圧倒的に濃密な強度でもってこの本を読んでいるこころそのものにグワングワンと押し迫ってくる。
>引用 p073
一瞬一瞬の言語行為は、発語の有無に関わらず、言語的分節世界という他者から収奪された言葉を通じて遂行される。
否、収奪そのものが言語行為なのだ。では、言語的分節世界という他者は、言語集蔵体の如きものなのであろうか。
もちろん、そうではない。言葉は、言語分節世界という他者の存立を可能ならしめている死者たちから、彼岸から、言わば贈与されるのである。
生者が収奪する言葉は、死者が贈与する言葉にほかならない。
それゆえ、われわれの言葉は、意識的には、主体的に限定された他者の言葉なのであるが、無意識的には、歴史的に限定された死者のことばなのである。
死者の言葉は、悠久の歴史のなかで、死者たちの群れから生者たちへと、一気に、その示差的な全的体系において、贈与され続ける。
それゆえに、言語的分節世界としての他者は歴史的に構造化され続けるのである。
ーー引用以上
引用>p080
われわれは、無際限とも思われる他者性のなかで一瞬一瞬に、主体的であることを収奪し限定している。
生者たる主体が自己限定するのではない。これは同語反復である。死者たちの言葉の力によって限定されて、主体にしてもらっているのである。
このとき死者たちの”顔”との交流あるいは対話もまた限定に寄与するところ大であろう。収奪、限定という表現の能動性のごまかされてはならない。
主体は始原から贈与されているのだ。
ーー引用以上
>死者たちの言葉の力によって限定されて、主体にしてもらっている
まさしくその通りで、自分探しという営為があるけれども、もし自分探しを徹底したならば必ず死者(=身体)に行きつく。
死者性の無い個性やわたしらしさなどただのナルシシズムの発露に過ぎない。死者から贈与されたこの主体(わたし)は祝福そのものだ。
そんな祝福が、この社会からは絶えようとしている。「この世にわたししか存在しない」ナルシシズム社会は人生のあらゆる局面で死者を消し去ろうとする。
ナルシシズムにとって「わたし」が死者から贈与されたなんてことはあってはならないことだからだ。だからこの社会は死者を全力で消し去ろうとしている。
個々人のナルシシズムに狂気に至るまでの強度は無いし、もちろん本書に出てくる狂人は断じてナルシストなどではない。
だが社会全体がナルシシズム化すれば、社会全体が狂ってしまうほどの威力は発するだろうし現に今、そうなっている。
引用>p212
狂気すなわちネオ=ロゴスの破壊力は強大である。ネオ=ロゴスが創造した”死者”は、死者たちと狂的な人の繋がりを離断し、死者たちを消去してしまう。
死者たちは見失われる。死者たちは、見失われることによって、新たに狂気の強度を増幅する。主体は消去され狂的なる人々は「死人」となってゆく。
この恐るべき悪循環を食い止めるためには、われわれは、狂気の人たちは、死者たちをみいださなければならない。真実の死者たちとその力を発見しなければならない。
これは現在この社会で進行していることそのものである。これ以上おれが何も言うことは無い。
読書感想文というけど、読書は生きること。本もまた、死者たちからの贈与だ。
おれはただ、この死者から贈与されたおれを生きるのみ。無量無数の死者たちと本書に感謝をささげる。
ありがとう。おれがいつかほんとうの死者となる日まで、どうぞよろしく。
2024年3月26日記す