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『意識の起源史』

【読書感想文】
『意識の起源史』
エーリッヒ・ノイマン 林道義=訳
紀伊國屋書店
私は、マザコンである。いや、マザコンではない。正確に、私はマザーコンプレックスである。ことばの少しの違いに拘るのは、 マザーコンプレックスをマザコンと略す事が、マザコン問題を解決不可能にするからである。 恥ずかしながらこれは端的に私自身の事だが、年齢不相応に母親から精神的にも経済的にも独立できない者をマザコンというのだろう。 では、成人して家を出て、伴侶を得て、子供を育てればマザコンは卒業なのだろうか?もちろんそれでマザコンは卒業だろう。 だが、マザーコンプレックスは卒業できない。 そう、母性から逃れられる者などいない。母親が好きなのもマザーコンプレックス。母親が嫌いなのもマザーコンプレックス。 母親と戦うのもマザーコンプレックス。母親から逃げるのもマザーコンプレックス。母親に同一化するのもマザーコンプレックス。 母親を無かった事にするのもマザーコンプレックス 好き嫌い、闘争逃走、なる消す、殺し殺される、……「わたし」と『母親、母性、母なるもの』との関係の仕方のバリエーションは無数にある。 それははるか古の昔からそのバリエーションが積み重ねらている。そしてその記録は神話にはちゃんと記されている。人類はずっとマザーコンプレックスだった。
本書『意識の起源史』は様々な神話の物語やシンボルやモチーフを集め読み解いていく事で、無意識から意識(≒自我)が形成されるその発達の過程を描いている。 そして人類における意識の発達の過程が、個人の意識の発達の過程にもくり返し現れる事を本書は解き明かしてゆく。 これは不正確で間違った要約だが、母子一体の段階から、母子が分離し、母子が相争い、英雄が誕生し、悪しき母性が殺され、女性が救出される。 マザーコンプレックスには「段階」がある、という事がわかる。これを「マザコン」と言ってしまうと、この「段階」が見えなくなる。見えなくなるから進めない。 つまり母性からの自立はマザーコンプレックスの各段階をきっちり丁寧に積み重ねる事でしか成しえない。 単に経済的に独立する事のみをもってマザコンの卒業としてしまうと、母性の影に憑りつかれたパワハラセクハラ甘えんぼオヤジが量産される。 現在、男のコスプレをした母の息子達が社会にあふれてる。 本書は内容が壮大かつ多岐にわたっているのでその全てを理解することなど私には到底不可能だけれども、 このマザーコンプレックスに発達の段階があるという認識を得たのは救いになった。私のような圧倒的母性の支配下から逃れられない者にとっての明確な道しるべになる。 だけど私にとって最も響いたのはp478「個人は発達する際に人類が辿った古い道を歩むのである」の一文。 そう、つまらない、取るに足らない小さな私一個人の人生に、人類そのものの時間が流れている、という事が本書を読めば実感できる。 実は誰一人、「私」は人類から疎外などされてはいなかったのだ。 どんな人にもいろんな問題や苦しみや痛みはあるけれども、その問題や痛みは「私」の問題や痛みであると同時に人類そのものの問題や痛みでもあるのだと、 この感覚を実感できるようになる事こそが大切な事だと思う。それは問題や痛みの具体的な解決よりも大切な事なのだ。 その感覚こそがつまらない一個人の私の人生に意味と価値と存在をもたらす。もちろんそれは私が人類に憑りつかれて自我肥大する事ではない。 が、問題の解決よりも疎外感の解消こそが現代の人類にとって最も大切な事であるはずだ。本書は疎外感の解消への道しるべにもなる。それはとても困難な道だが。 本書自体はマザーコンプレックスだけでなく、もっと広いこころの範囲を扱っているのでマザーコンプレックスに拘らず読むべき本なのだが、 やはり私はマザコンやマザコンが嫌いで懊悩する、悩めるマザーコンップレッサー達に広く読んでほしい、そう願う書籍である。

午前11:20 ・ 2022年9月2日

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