
【読書感想文】
『自己愛とその変容 ナルシシズムとユング派心理療法』
ネーサン・シュワルツ・サラント 著
小川捷之 監訳
新曜社
失恋を、した。
この年齢になって人を好きになるというのもみっともない事だとは思うのだけれども、好きになってしまったものは仕方がない。
失恋の何がつらいかって、その人を思うエネルギーはその人に受け取って貰えず、こちらに全て帰って来ることだ。
まるで鏡の反射のように。鏡。そう、ナルシシズム。
私のツイッターアカウントを見ていた人は知っている思うけれども、去年私は5月から9月まで女性の絵と詩を描き狂ってはそれをアップロードし続けていた。
久しぶりに、気が狂うかと思った。絶え間なくイメージが氾濫し続ける。イメージと会話する。イメージが変容する。
そのイメージを描く。書く。本にする。変容する。描く。書く。会話する。そう、私はよくイメージと会話する。
イメージは、私に色々な事を教えてくれる。私に欠けている事、足りない事。結局失恋するのは「わたし」の問題なのだ。
本書『自己愛とその変容』何年か前にブックオフで手に入れて重要な本だとわかっていたけれどもあまりの難解さに読めずにいた本。
狂っている時は本棚が光って見えるもので、落ち込み、高ぶり、爆発しそうに悲しみにくれる私にこの本が読め読めと光を放つ。
読んで見ると、わかる。わからないけど、わかる。何故私が「こんな目にあわなければならないのか」が。
本書はとても重要なことが多岐に渡って書かれているのでそれを要約する事など不可能だけど、それでも本書の中で一番大切な文書をひとつ抜粋するなら、
p38
「自己愛性格の構造は、個人領域と元型領域の間を結びつける、ひとつのパターンである。」
これは、すごい。私にとってはこんな希望をもたらす文章はない。ずっと疑問だったからだ。「わたし」とこころはどのようにしてつながるのか?という事が。
私は20年ほどずっとこころから自然に湧き出るイメージや感覚を自我でコントロールせずにそのまま描く、書く、表現するという作業をし続けてきた。
ほぼほぼどこにも発表せず。それはとても豊饒な世界の顕現なのだけれども、それはほとんど私と関係しなかった。
その豊饒なこころが「わたし」とどう繋がるのか、関わるのかが私には分からなかった。
こころをそのまま表現することは「こころが救われる」ことではあるが、それは「わたしが救われる」こととはイコールでは無い。
勿論全く関係ない訳ではないけれども、「わたし」とこころは違う。船と海くらい違う。
だから「自己愛性格の構造は、個人領域と元型領域の間を結びつける、ひとつのパターンである。」という記述はわたしにとっては希望で、
しかもそれがナルシシズムに取り組むことによって為されると。本書はその過程が詳細多岐にわたって書かれ、描かれている。
例えば本書に出てくる「求婚者テスト」の話。失恋するという事はまさしく私は「求婚者テスト」に合格しなかった訳なのだけれども、
これは個人のこころの過程そのものでもあるという事である。私は意中の女性にフラれる以前に、自分自身にフラれていたのだ。
と書くとあまりに単純化した解釈だけれども、でも「わたし」とこころとの関係も恋愛のようなもので、
内なる恋愛が成就しなければ現実の他者との恋愛が成就することも無い。だけどそれがとかく難しいのは当然で、
だからこそ本書のような羅針盤のような本が必要になる。本書には自己愛にまつわる様々なモチーフ、羨望、憤怒、求婚者テスト、鏡映、理想化、黒い魔術師、
にせの花嫁、影、男性性の変容、女性性の変容、女性性の浸透する力、両性具有、身体…、が次々と出てくる。
そのどれもが「わたし」とこころをつなぐ為の深く重要なモチーフ。
女性性の浸透する力について、
p212
男性性の力に立ち向かうことへの恐れは、いったん耐え抜いたならば、創造的なものへと変わり、女性性の力をもたらす要因となる。…。
彼は自分を変えるために…自らの男性性の精神構造の死を受け入れるようになる。彼自身の力は、女神へ捧げられるようになる。
そしてp215
自己愛的な男性は、真の女性性の力をもつ女性の発達にとって最大の障害なのである。
本書には男性が男性で在るという事、そして女性が女性で在るという事がどういう事なのか、そして「わたし」とこころにとって恋愛とは何なのかが臨床的な知見といくつかの神話から描き出されている。
人を好きになるというのは、なんと低くて深く、卑俗でかつ神聖な現象であることか。
本書のおかげで、そして氾濫するイメージたちのおかげで、私はこころと関係をつなぐことができた。
失恋はしたけれども、私はこころと手をつなぐことができた。自分を愛することができた。
2023年3月26日 記す