【連載】 『東九条、死者無き多文化共生の行方≪14≫』

東九条とは誰なのか、何なのか? その4

多文化共生系レイシスト 浜辺ふう 山崎ナシによる 「劇団九条劇」について。 その③ 仁義無き多文化共生

   
「おれたちをモルモットにするな」
   
このことばは、かつて東九条の青年が東九条の外からセツルメント運動のためにやってきた学生に向かって言ったことばである。 と、平山は東九条の昔を知る人から聞いた。 平山が現在東九条の外からやってくるアカデミアやアーティストに向かって「塗りつぶすな」「収奪するな」「植民地化するな」、と叫ぶのと大意は同じであるが、 現代を生きる平山からこの「モルモット」ということばは出てこない。 「モルモット」ということばに、当時の東九条の青年たちの悲しみと痛みを感じざるをえない。
  
以下、「断固たる自分━━高英三という生き様」p116~ 十八回 「崇仁の社会と文化を学ぶ会」座談会 ━東九条における在日朝鮮人住民と法的地位━ 一九九九年五月十九日 崇仁隣保館 から引用する
   
以下引用━━━
   
 四〇番地にはセツルメントというのが大量に入ってまして四〇番地もそうだし、四ヶ町、屋形町も含んでセツルメントが大量に僕らの面倒を見るということで入ってきまして
   
…略…
   
先程紹介したセツルメントが来まして。セツルメントが何故東九条に来るんだろう。いわゆる貧困地帯ですね。東九条は当時スラムって僕らは言ってた。 スラムの子弟たちを土曜日正午から夕方まで面倒みよう、識字をやろうとかそういうことをやった。 では、何が一体目的か。スラムの子どもたちの将来を考えてやっていることなのか、自分たちの研究対象なのか。 とりわけ僕の記憶の中でセツルメントは東九条を自分たちの研究対象にしていた。ある意味での社会病理学みたいな形での対応を東九条でやっていた。そういった意味で無責任だということになりまして。
   
…略…
   
四〇番地で林組といったやんちゃくれの若造ばっかりを集めて前進会を作った。セツルメントに対してそういう形での質問、質問というか説明しろと、何で東九条に来ているのか展望を含めて地区に明確にすべきだと。  …略… 今まで何のために来たんだろうということを同時にスラムを自分の研究対象にしていたというお前たち学生の在り方。いわゆる下層階級への上層階級の視点。 それに対するものすごい怒りが青年達の中に討論会、糾弾会を重ねる中で沸々と沸きだしてきて許しがたしと、言葉きれいですけど。 昔やったら「われ、許さへんぞ」という感じになりまして。 …略… 当時立命の衣笠校舎でセツルメントの大会が開催されて、そこで前進会が行って。 全然招待もされていないわけです。当事者である我々が。…略… 当時前進会十数名いまして、殴り込みをかけまして。 …略… 自分らがスラムにいかに関わっているのか、それは何故かという僕らにしてみればさっき言ったように社会的見分を広げる、それだけのために東九条に来て社会正義をふるっているのは偽善の行為でしかないと。 最終的に総会を潰してしまえと。そういうことになりまして総会を潰してしまいました。
   
…略…
   
先程紹介したように東九条からセツラーを全部追い出す。 入ってきたら言葉で帰らんかったら暴力を持って排除するというかっこうで、とことん地域のことは自分たちで責任をとっていくという形をとって四ヶ町ではそういうのをやっていた。
   
━━━引用以上
   
 高英三さんという方は、もうお亡くなりになられたが、生粋の東九条の地域出身の在日の運動家であり、中卒の「一階」の住人である。 例えば連載6~8で書いたマダン劇を日本に紹介した梁民基さんとは同じ在日でも対極の存在で在ろう。 梁民基さんは愛知県出身の東九条の「外」からやってきた、大卒のエリート層である。 両者の記録を読んでいて平山が圧倒的に共感し、共鳴するのは高英三さんである。 そこには東九条の底辺を生きる「一階」の住人の感性や感受性が躍動しているからである。 東九条地域における様々な問題に取り組んで活動されてこられた方であるが、その記録を読むに「反差別」ということを明確に運動の中心に据えて活動されてこられた方である。 つまりそれは人間が人間として扱われないことへの怒りや深い悲しみがそこにあるがゆえの「反差別」なのだ。 高英三さんは東九条マダンには参加はしていない。その気持ちや感性は同じ東九条の「一階」の住人としてよくわかる。東九条マダンのことは否定はしない、が、何かちがうのである。
   
引用した文章に出てくる
   
セツルメントとは
   
2 宗教家や学生が、労働者街やスラムに定住して、住民との人格的接触を図りながら、医療・教育・保育・授産などの活動を行い、地域の福祉をはかる社会事業。また、その施設や団体。隣保事業。セッツルメント。
  
「デジタル大辞泉」 セツルメントの項から引用。
   
である。東九条多文化共生エリアの中心である「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」の前身である「希望の家」もキリスト教系の団体のセツルメントである。 東九条の「外」からやってきた様々な運動体や学生もセツルメントでこの東九条にやってきた。「断固たる自分━━高英三という生き様」から引用した講演録を読むと当時の東九条の地域の青年たちが、 自己実現や社会見聞でやってきたような軽薄なセツルメントを時に本物の「暴力」を行使してでも東九条から排除してきたことがわかる。 もし、仮に現在でもこのような地域の住人の運動体があれば、大谷通高とその一味が作ったボードゲームなど糾弾、排除対象であるし、浜辺ふうやレイシスト山崎なしなども当然糾弾、排除対象であっただろう。 糾弾以前に、存在すらできていないと思うが、特にレイシスト山崎なしの
  
「(在日の一世、二世の怒りや悲しみ)そういうのに反発するのがモチベーションでやってんすよね。」
  
という発言などは絶対に許されることはない。 東九条地域にこのような「多文化共生系レイシズム」がはびこるのは、現在東九条地域の「一階」の住人に全く政治力や運動体が無いからで、 だから現在の東九条ではこのような明らかなレイシズム発言すらも許されてしまう。 こうして平山一人が訴えたところで誰もそれに真剣に取り合うことは無い。 また「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」施設長前川修が平山からの抗議を「無視」し続けるのも「一階」の住人に「政治力」や「影響力=価値」が無いからである。 だから浜辺ふうもレイシスト山崎なしも差別のし放題言いたい放題なのである。だから東九条多文化共生エリアの「二階」の関係者はちょうしにのっているし、「思い上がっている」。 本来であればそのような政治的に弱い立場の住人の声にこそ耳を傾けなければならない立場の前川修のような者が今や、その声を無視し続け圧殺する。 自分たちに抗議する東九条の「一階」の地域住人は「人間扱いしない」という明確な意図が東九条多文化共生エリアにはある。散漫軽薄極まりない。
   
では、東九条多文化共生エリアの関係者がそんな非人間的な軽薄な者ばかりなのかといえば当然そんなことはない。当然だが、人間性や志をもった人もいる。 これはある平山と多文化共生エリアの関係者との会話である。
  
 「平山さんね、多文化共生ってきれいなイメージで語られるけど、実際はもっとドロドロした血まみれの、連続なんですよ。」
  
 「あんな、多文化共生って血まみれやねん。そんなんちゃうねん。」
  
 平山はこの連載において多文化共生エリアのことを批判しているが、平山が書いているようなことは、多文化共生エリアに携わる人間ならみなよくわかっていることである。 何故なら彼女、彼らはもう何十年も東九条で活動し、人生そのものを東九条に捧げ、こころも身体もぼろぼろになりながらも東九条で活動してきたからである。 東九条の「一階」の住人と真剣に関わり心身共にボロボロになり東九条を去った人もいる。 だから彼女、彼らはよく「血まみれ」ということばを使う。それは決して嘘ではない。そのことは多文化共生エリアの彼女彼らの名誉のために書いておく。
   
 東九条の外からやってきた大卒で階級上昇した「二階」のセツルメント運動の人たち。もちろん少数だが高卒の人もいる。 彼女彼らの動機は様々だけど、彼女彼らが、それは「狭域の東九条」および「ゼロ番地」限定ではあるが、 当時劣悪な環境にあった東九条の福祉、教育、労働、人権の問題に真剣に取り組み環境を改善してくれたことは事実である。
   
 今でこそ彼女彼らは「多文化共生」の人たちだが、平山から見れば彼女彼らは「義」の人たちだと感じる。 在日でも日本人でも、当時せっかく大学を卒業したんだから、 こんな差別や貧困、暴力の問題があふれる東九条なんかに関わらず良い企業に就職してふつうに幸せな家庭を築いて一生を終えるという選択肢を選ぶのが正解だろう。 だけど、動機は様々だけど、当時の東九条の惨状を目の当たりにした彼女彼らは自身の人生を犠牲にしてでもこの地域のために活動してくれたのだから、それは「義侠心」だとおれはそう感じる。 東九条で長年活動してきた関係者と話をすると、看板は「多文化共生」という看板だけど、彼女彼らから感じるのは「義侠心」である。 だから平山は「多文化共生」という看板に関しては徹底的に批判しているが、彼女彼らの「義侠心」には共感し、敬意と謝意ともに熱いものを感じている。看板と、その人間そのものは違う。
   
 だけど、最近東九条の外からやってくるアカデミアやアーティストにはこの義侠心は感じない。感じないどころか「仁義なき」奴らばっかりだ。 もちろん、浜辺ふうや山崎なしや中川眞に義侠心などあるべくも無い。レイシスト山崎なしに義侠心があるなら
   
「(在日の一世、二世の怒りや悲しみ)そういうのに反発するのがモチベーションでやってるんすよね。」
   
なんて発言は冗談でも出てくる訳がない。「わたし=浜辺ふう」さえよければ在日が傷つこうが、東九条の歴史が歪もうがどうでもいい。 「浜辺ふうファースト」。それが浜辺ふうと山崎なしの「仁義無き多文化共生劇団九条劇」である。そもそも山崎なしのようなレイシストに義侠心など求めるべくもないが。
   
 そんな浜辺ふうと山崎なしの劇団「九条劇」は、東九条多文化共生エリアの中心である「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」の「登録団体」である。 登録団体とはいかなるものかはネットワークサロンのホームページ http://kyotonetworksalon.jp/touroku/touroku.htmlで詳細を各自確認してもらうとして、 平山は「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン 施設長 前川修」あてに「抗議文」を出し、劇団九条劇の活動が「差別」であることを指摘した上で、 九条劇を登録団体から外すように要望した。だがこの抗議文への返答は一切無し。前川修と直接話す機会があった際に前川修は
   
「ふうちゃんみたいな良い子がレイシストなわけがない」
   
という非常に悪質な回答をした。この回答の何が悪質なのか。差別と人格は関係がない。良い人だろうが、悪い人だろうが、社会的地位があろうがなかろうが「差別」はしてしまうのだ。 何故なら差別とは内心の問題ではなく社会構造の問題だからである。 だからその人の人格や内心ではなく実際の言動を見てそれが差別かどうか判断しなければならないのに、前川修は「ふうちゃんみたいな良い子がレイシストなわけがない」と言ってのけた。 前川修はこれを確信犯で言っている。長年部落差別問題に関わってきた前川がそんなことわからないはずがない。 前川修は希望の家の関係者であり、浜辺ふうのことはこどもの頃から知っている「身内」のようなものである。 だから前川は多文化共生人脈の浜辺ふうのことは何が何でもかばうということだ。だからおれは「多文化共生エリア」ではなく「多文化共生ムラ」だと言うのだが、これは非常に問題である。
   
 「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン」は京都市から「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会」が事業委託されて京都市の多文化共生の施策を実施している施設である。 つまり完全に「公的な場」なのだ。その公的な場であり多文化共生という「施策」を実施する場が「人治主義」でいいわけないだろう。 公平性を担保しない多文化共生。こんな危険なことはない。 現在東九条は「京都市 地域・多文化交流 ネットワークサロン施設長 前川修」が気に入った者は多文化共生の環に入れてもらえるし、前川修が気に入らない者は多文化共生から排除されるという状態になっている。 これのどこが多文化共生なのだろうか?
  
人治主義で多文化共生を運用するという極めて危険なことが東九条でまかり通っているのである。そんなことをすれば ある個人に人権がある、無いということをその集団の支配者層だけが決めることができるということになってしまう。 そして東九条多文化共生エリアでは現実にそうなりつつある。前川修の「人治主義的多文化共生」によって。つまりこれは「東九条多文化共生独裁体制」と言っても過言ではないだろう。
   
 なぜ浜辺ふうや山崎なしがやりたい放題できるのか。この前川修による「東九条多文化共生独裁体制」があるからである。 浜辺ふうが差別しようが収奪しようが「ふうちゃんみたいな良い子がレイシストなわけがない」の一言ですべてが許される。だけど東九条地域住人の平山からの抗議は一切無視。 おい。前川修。血まみれの多文化共生はどこにいった?おまえは施設長になってから義侠心すら失ったんか。いや、おまえには義侠心など初めからなかったのか。化けの皮がはがれとるぞ。「活動家」失格や。恥を知れ。
   
「活動家」が仁義をなくしたらおしまいやで。
   
前川修、おまえおもんないねん。
   
浜辺ふうや山崎なしが言いたい放題やりたい放題できる「多文化共生ムラ社会」が東九条にあることはわかった。では浜辺ふうはこの東九条という地域のことをどう思っているのだろうか?
   
浜辺ふうの文章をhttps://kujogeki.wixsite.com/websiteより引用する。
   
以下引用━━━
   
二人芝居「エコー」
   
…略…
   
私はこの地域を狭くて息苦しいところだと思っていました……思っています、実は今も少し。 何かについて話す時、それが東九条の歴史、もっと言えば日本と朝鮮半島の歴史の延長線上に置かれても瑕疵がないか、日本人である私に見合った“形”になっているか、常に細心の注意を払ってきたからです。 年を重ねながら、“日本人として正しい姿勢”を身につけていくにつれ、幼い頃、朝鮮の文化が根付いた広場を「ただただ好きだ」という理由で駆け回っていたあのときの自分が無節操であったようにも思えて苦しくなり、 私は行き場を失い、東九条を、京都を、日本を離れました。
   
でもやはり私は気付くとまたここで生きようとしています。 私は、ここで生まれ育った私として、誰に聞かれても誤解されないように、角をとって丸くした加工済みの言葉ではなく、私の言葉を堂々といつか話せるのだろうか。 また同じ気持ちで広場で遊べるだろうか。この東九条が、憎らしい。
   
━━━引用以上
    
>私は、ここで生まれ育った私として、誰に聞かれても誤解されないように、角をとって丸くした加工済みの言葉ではなく、私の言葉を堂々といつか話せるのだろうか。
    
とあるが、これは浜辺ふうだけではなく、東九条の地域住人ならみなそうである。平山も含めて、「私の言葉を堂々と話せる」東九条地域住人なんていない。 何故なら、「わたし」の話は「あなた」の話であり、それは「みんな」の話であり、東九条の話になるからである。「わたし」の話をすれば必ず「あなた」を傷つける。 「わたし」の話をすれば必ず「みんな」を傷つける。「わたし」の話をすれば必ず東九条を傷つける。 「わたし」の話をすれば必ず東九条を出ていった人、「かなた」を傷つける。それが分かっているから、それが苦しいから、それが痛ましいから、東九条を生きた人間は「わたし」の話などしないしできないのだ。
    
東九条の住人には「他者」がいるのだ。だけど、浜辺ふうには「他者」がいない。だから自分の発言がどんな影響を与えるのかなんて全く気にしないし、それが差別や差別扇動であっても気にしない。 自分を批判する者は誰であれ「邪魔者」でしかない。だから浜辺ふうの「他者無き多文化共生」とはただの「幼児退行」でしかない。
    
そして東九条の住人にとって、…平山にとって… その「他者」とは「死者」のことである。この土地で「無念」を抱えたまま死んでいった「死者たち」のことである。 その死者たちの無念を思う時、ぺらぺらぺらぺら「わたし」の話などできようはずがない。死者は沈黙しているのだから。 今を生きる人間は、その死者の沈黙に耳を傾ける以外できようはずがない。その死者は過去死んだのと同時に「今現在も死んでいる」。そして「未来も死んでいる」。 だけどその無念はずっと「生きている」。おれはその無念に「生かされている」。
    
だからこの身体は死者たちそのものである。
    
だから「わたし」のことばは死者たちのことばである。
    
だからこそ>「私の言葉を堂々と話せる」なんてことは無いのだ。
    
何故なら、死者たちのことばが明かされるのは、その時を「待つ」しかないからである。
    
死者たちの沈黙に耳を傾ける。ふとした時、沈黙が沈黙を語りだす。死者が死者を語りだす。東九条が東九条を語りだす。語りが語りを語りだす。
    
その時を待つために、われわれは …平山は… 沈黙している。
    
われわれが …平山が… 待っている 待ち続けている その 誰か 何かこそが、「他者」である。
    
そんな「他者」が浜辺ふうには無い。浜辺ふうだけではない。東九条に集う「虚無」たちにはそんな「他者」がない。それは当然だ。「死者」がいなければ「他者」はいないのだから。
    
これは当然の話ではあるが、東九条の外からやってきた者には、東九条に死者がいない。東九条に「待つ」人がいない。東九条に他者がいない。だから、東九条という土地に敬意をもてない。 平気で収奪し、差別し、植民地化し、「モルモット」にする。これこそが東九条地域の根本的な「病い」である。そして多文化共生エリアにも「死者」はいない。だから当然そこには「他者」もいない。 それは人権や共生思想でどうにかできることではないのだ。
    
人間が人間であるためには他者が必要なのだ。他者とは死者たちのことなのだ。
    
「わたし」がその沈黙に耳をすます死者。
    
そんな死者たちこそが、人間が人間であるための「他者」なのだ。
    
東九条多文化共生エリアにはそんな死者も他者もいない。
    
だから、東九条、死者無き多文化共生、とおれは言う。死者無き多文化共生に「わたし」はいても「人間」はどこにもいない。
   
「人間」はどこにもいないのに「わたし」だけがある。
    
それをおれは「虚無」だと言うのだ。
    
そんな「虚無」だけが、東九条多文化共生エリアにあって、そんな虚無が広がりつつある。
   
そんな虚無に耳をすませば、虚無の奥から、打ち捨てられた死者たちの声が聞こえる。破壊された大地の音が聞こえる。
   
この文章は、打ち捨てられた死者たちの声に耳をすますこと、大地を再生すること、
   
その一時としてある。
   
生き生きと、生き生きと、生き生きと輝く死者たちが、この大地を、身体を、再生復活新生するのだ。
   
だからまずは、耳を澄ます
    
その沈黙に
   
東九条を生きている、ただそれだけで背負わされてしまうものがある。背負わされるものとは「死者たち」である。だから東九条の人たちは「沈黙」しているのだ。そしてその「沈黙」こそがこの東九条そのものなのだ。 「話す」ことができない。「語る」ことができない。だから「叫ぶ」のだ。
   
かつて東九条には叫びがあふれていた。おれのキチガイババアもそうだ、近所のババアも。ヤッホーのおっさんも。 カラスも、犬も、猫も、ビール瓶が割れる音も、朝鮮のババアたちの笑い声も、銭湯に流れる演歌も、おっさんのたっしょんも、松ノ木団地の三棟の屋上から飛び降り自殺した人が地面にぶつかる音も、 こどもが逃げる音も、本をめくる音も、ヤクザの発砲も、あれは「沈黙」の「叫び」だ。誰かが叫んでいたのではない。沈黙が叫んでいたのだ。死者たちが叫んでいたのだ。
   
今の多文化共生の東九条ではそんな叫びは暴力だ、迷惑だ、不衛生だといって排除される。 地域住人が沈黙せざるをえないことをいいことに、外からやってきたアカデミアやアーティストがしたり顔で生きたことも無い東九条について雄弁に語る。
   
なぜおまえたちはここにある沈黙に耳を澄ますことが出来ないのだ。
   
なぜおまえたちはいっしょに叫ぶことができないのだ。
   
なぜおまえたちはいっしょに沈黙することができないのだ。
    
浜辺ふうには沈黙がない。沈黙が無いからそれは叫びにもならない。 ただの「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」わたし」「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」…の「わたし」語りが続くだけ。 そこには何の悲しみも、苦しみも、痛みも惨めさも無念も無い。浜辺ふうにはこの土地から背負わされた何かが無い。悲しみが無い。無念が無い。つまり
   
浜辺ふうには浜辺ふうを愛してくれている死者たちがいない。
   
呪ってくれる死者たちすらいない。
   
死者たちがいないということは大地が無いということである。
   
大地が無いから「わたし」がない。
   
浜辺ふうにあるのは
   
>私は、ここで生まれ育った私として、誰に聞かれても誤解されないように、角をとって丸くした加工済みの言葉ではなく、私の言葉を堂々といつか話せるのだろうか。
   
という「わたし」の承認欲求と自己顕示欲だけである。浜辺ふうは沈黙できない。
   
東九条は、沈黙する。愛するひとのために。愛するこの大地のために。愛する死者たちのために。
   
これが浜辺ふうと東九条地域住人との決定的な違いである。東九条宇地域住人には「沈黙せざるをえない何か」があり「叫ばざるを得ない何か」がある。 しかし浜辺ふうにはその「何か」がない。何故なら浜辺ふうは東九条を生きたのではなく、ただただ「わたし」という「虚無≒幻想」を生きただけだから。 浜辺ふうは東九条を愛しているわけではなく、ただただ「わたしのイメージ」を愛しているだけだから。だから浜辺ふうには軽薄さしかない。 そしてその「軽薄さ」が人間を殺すということにも気づかずに、浜辺ふうは東九条の死者たちを殺し続ける。だから浜辺ふう=山崎なしの
   
「(在日の一世、二世の怒りや悲しみ)そういうのに反発するのがモチベーションでやってるんすよね。」
   
というこの発言は、かつて東九条を生きた者たちの魂を殺すという宣言であることがわかるだろう。かつて東九条を生きた者たちの沈黙や叫びを殺すという宣言である。 だからこそおれはこの発言に、おれが生きてきて見聞きしたどんなヘイトスピーチよりも醜悪で気味の悪い恐怖を感じた。
   
山崎なしは、確実に、おれの目の前で在日韓国朝鮮人の魂を殺すという宣言をしたのだから。
   
「多文化共生」ということばは罪なことばだと思う。先に書いた通り、東九条で長年活動し来た外から来た「二階」の人たちは「義侠心」にあふれた人たちだった。 とはいえ、「地域福祉センター希望の家」が「任侠団体希望の家」と名乗る訳にはいかない。いやおれはそっちの方が好きだけど。 広く社会に理解を広げ、行政と良い関係を築くには「多文化共生」ということばを使わざるを得ない。それは東九条マダンもそうだ。 だけど、その多文化共生ということばで吸い寄せられてくる者はもはや義侠心の欠片も無い、多文化共生で「自己実現」したい、多文化共生で「予算」をとりたいアカデミアやアーティストのような「虚無」ばかりである。
   
現在の東九条の多文化共生とは、義侠心も何もない「虚無」たちの「仁義なき多文化共生」である。
   
それは浜辺ふうや山崎なしだけではない。こんな虚無たちが外からやってくる。身体無き虚無、こころ無き虚無たちが。東九条を植民地化するために。 「仁義なき多文化共生」は結局は「二階」から「一階」の住人の歴史や生活を「植民地化」するだけである。「虚無」によるこころ身体の植民地化である。
   
おれはここ三年ほどずっとそんな「虚無」に向かって叫び続けてきた。「塗りつぶすな」「奪うな」「植民地化するな」と。だけど相手は虚無だから手ごたえも何も無い。 悪とは戦うことができても虚無とは戦うことはできない。なんせ実体のない虚無なのだから。そんな虚無に向かってずっと叫び続けてきた平山は、はたから見ればさぞかし狂っているように見えただろう。 今だってそうだ。こんな文章を書き続けるのはさぞかし狂っているように見えるだろう。だけど多文化共生という「病い」の中で正気を保つためには狂うしかないのだ。 かつて言葉を持たない者たちがそうしたように。おれは、ことばを持たないものたちの末裔なのだから。
   
さてそんな平山の狂った「叫び」が今年、2025年4月26日土曜日に、ついに「暴力」として東九条に結んでしまった。
   
連載次回は、「~死者絶叫 虚無を裂く 東九条の空の下~ 東九条春まつり平山絶叫事件 ①京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン施設長前川修による地域住人在日韓国人弾圧事件  および、②空の下平山暴力デマ吹聴事件」について書いてみたいと思う。
   
つづく
   
ひとつ書いておく。東九条マダンには他者性はあるが死者性はない。東九条マダンにとっての他者とは「東九条」という地域である。 だが、東九条マダンには死者はいない。いや、死者はいるが、死者になった死者がいない。そして、死者はやはり東九条という地域そのものに委ねられたままである。 それは東九条マダンが「祭」ではなく、「まつり」だからだ。そのことについては後々に書くが、
   
おい、
   
百年先を祝う前に、やることがあるんとちゃうか?
   
東九条の空の下には何があるねん?
   
まずお前が立っているその大地の足元に、東九条で生きて死んでいった死者たちがおるやろ。
   
その死者たちを弔うことが先とちがうんかい。
   
おまえはおまえとおまえの仲間が踏みにじり、奪い、侮辱した、東九条の空の下の死者たちに謝ったんか?
   
おまえが軽薄にも触れてしまったその恨を、解いたんか?
   
百年先を祝う??
   
百万年早いわ
     
百万年の命を遡ってからものぬかせ
   
このことばをおれに書かせる、
   
百万年の命が、百万年の死者たちが、百万年後の死者たちとともに
   
百万百万百万世界を輝かせてくれるわ
   
  どもが
   
死者の輝きを思い知れ
   

   

  
  


  

2025年10月26日

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