…複数の他者像が存在していることが、近代国家の秩序を維持する条件なのである。
もし、この条件に反してひとつの他者像だけを優越させようとすれば、秩序は逆に危機に陥る可能性が高くなる。
戦争の勃発は、他者像の重層性に耐えられずに、ひとつの他者像だけで秩序を維持しようとするところから始まる。
「資本主義と他者」 荻野昌弘 関西学院大学出版会 p188から引用
共生、多文化共生。それはつまり、「複数の他者像の重層性を引き受けること」なのではないだろうか。
しかし、共生や多文化共生がスローガンや目標やそうあるべき規範となる時、それは「多文化共生というひとつの他者像」だけを優越させ、
それ以外の他者像を認めないという事態に陥ってしまうという矛盾が生じる。
結論から書こう。本当に、共生や多文化共生を実現したいならば、共生や多文化共生ということばを使うべきではない。
皮肉にも「多文化共生」ということばそのものが「分断」や「排除」を生んでしまう「構造」があるからである。
平山の実体験の範囲での話でしかないが、本当に「共生」が実現されているような場や世界で、「共生」や「多文化共生」ということばが使われているのを見たことが無い。
そして逆に「共生」や「多文化共生」ということばを使っている者たちが、非常に排他的で、
かつ「多文化共生できない人間」を自分たちだけのムラ社会を維持するために抑圧排除するという現実がある。
なぜそんなことがおきるのだろうか?
そもそも、「多文化共生」ということばは主にニューカマーの「外国人問題」に対応する施策のためのことばだった。
だが現在は地域にもよるが、多文化共生ということばは外国人問題に限らずあらゆるマイノリティーや社会的弱者、
マジョリティも含む「全て」の「属性」がその「多文化共生」の対象となっている。それを「多文化」ということが憚れる時には「共生」ということばが使用されるのだが、
「共生」とは一体何なのだろうか?
「共に生きる」。共生。なぜわざわざ共生と言わなければいけないのかと言えば、共生ができない「現実」があるからである。
ならばその現実をこそ徹底的に見つめなければならないのに、その現実を無視してスローガン的に「共生」や「多文化共生」と言ってもその共生が実現されることはない。
また、共生や多文化共生を「規範」として内面化するならば、その「規範」を守ることができない者は多文化共生の集団からは排除されることになる。
皮肉なことに、多文化共生を謳う集団は、同じような傾向を持った人間の集まりとなる。
つまり、「多文化共生」や「共生」ということばや取り組みそのものが「分断」を生じさせてしまうという現実がある。
ならばやはり、「どうすれば共生できるのか?」と問うのではなく、「共生できない現実」そのものが問われなければならない。
元森絵里子氏の「在日外国人問題の同時代性と地域性──川崎市・京都市・大阪市の地域福祉と学校教育──」
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/record/3724/files/shakaifukushi_159_1-38.pdf
がとても興味深く分かりやすいが、「共生」や「多文化共生」ということばもその地域によって受容のされ方がそれぞれ異なる。
それは当然のことで、その地域によって「現実」が違うからだ。その土地その土地に
『「共に生きる」ことができない「現実」』がある。
この「現実」が何なのかをしっかり認識することが共生を考えるうえで、また実際に共生する上で必要不可欠なことになる。
かつての東九条では厳しい貧困や差別や暴力や収奪という『「共に生きる」ことができない「現実」』があり、そして今もなおその後遺症を生きている人間がいる。
では現在の東九条の「共に生きることができない現実」とは何だろうか?
改めて東九条地域における「共生」や「多文化共生」を実践している集団を検証することで、そこにある『「共に生きる」ことができない「現実」』が何なのかを見ていきたい。
平山が認識する限りにおいて、東九条地域に纏わる多文化共生は大きく5つある。
①社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会「希望の家カトリック保育園」の多文化共生保育。
②多文化共生のまつり(?)東九条マダン
③京都・東九条CANフォーラム
④社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会が京都市の「多文化が息づくまち・京都」の事業委託をされて運営されている、「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」
それに加えて最近は
⑤アート系の「共生」「多文化共生」
が加わる。
それぞれの『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのかを見ていきたい。
①「希望の家カトリック保育園」は1955年、彦根の教会に赴任してきたメリノール会のディフリー神父が、
国鉄の車窓から見える東九条地域のスラム街に広がるバラック小屋の光景を見て「あの町の人たちのために一緒に働かななければならない」と決意し、
1959年に「キリスト教の布教をしない」という約束のもと始めた地域の福祉施設、「地域福祉センター希望の家」が基にある。
その事業の一環として1967年4月に「希望の家カトリック保育園」が始まる。1982年、保育方針「共に生きるよろこび」を策定、
そのきっかけとなったのは1981年に起きた「ピストル事件」がきっかけである。
石川久仁子氏の論文 「複合的不利地域」におけるコミュニティ実践に関する研究 ―京都・東九条を中心に―」
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/22235より引用する。
以下引用━━━
子どもの世界の中にも民族差別は深刻な影を落としている。4ヶ町にある保育園では次のような事件もおきている。
「1981年のクリスマスイブのこと、3歳児の公園での自由遊びの時間に小学生がオモチャのピストルで園児をつかまえふざけていた。
「お前は、朝鮮人か日本人かどっちや!!」のおどしは3歳の子どもたちをふるえさせた。
韓国人だと言った園児の顔をめがけて“朝鮮人殺したる”といいながらオモチャのピストルを打ち鳴らした。」
(希望の家カトリック保育園・山王保育所 1987:27) この小学生はこの保育園の卒園児であった。
この事件を契機にこの保育園では民族教育の配慮、本名使用など人権・多文化に関わる取り組みに力をいれている。
━━━引用以上
この事件には「民族差別」という『「共に生きる」ことができない「現実」』があり、希望の家カトリック保育園はその現実から逃げることなく真正面から取り組んだ。
それが1982年に策定された保育方針「共に生きるよろこび」であり、その取り組みの継続が2002年から始まった「多文化共生保育」に至る。
またそこには「地域福祉センター希望の家」が東九条四ヶ町地域でとりくんできた差別や貧困から発する福祉や教育の問題に取り組んで生きたその蓄積も生かされているだろう。
だから希望の家カトリック保育園の「多文化共生保育」は最近の流行りのうわっついた多文化共生とは一線を画すものである。
ピストル事件からわかるように、希望の家カトリック保育園の多文化共生の根底には「反差別」がある。
②の東九条マダンにおける『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのだったのだろうか?よく比較される話が、1983年に始まった「生野民族文化祭」。
生野民族文化祭は「共生」の祭ではない。それまで民族性を抑圧されていた在日韓国朝鮮人が「民族性」を取り戻し、創造するための祭である。
それは在日のための在日の祭りである。だからその運営に日本人は参加できなかったし日本人に帰化した朝鮮ルーツの者は参加できなかった。つまりそこには、
「帰化した在日」と「在日のままでいた在日」の間にある分断、という『「共に生きる」ことができない「現実」』
があった。それに加えて当然「在日と日本人」という『「共に生きる」ことができない「現実」』もある。
しかし生野民族文化祭とは違い、東九条マダンは在日も日本人もともに参加する「みんな」のまつりである。
在日韓国朝鮮人と日本人との間にある深い分断という「現実」を「共に生きる」実践のための「まつり」、それが東九条マダンであり、
そのために「民衆」ということばの垂直性が水平性に変換されたことを平山は指摘した。
だが皮肉なことにその「民衆」ということばの水平変換こそが「現実」にある「階級」の問題を見えなくして、
東九条マダンと東九条地域との間に『「共に生きる」ことができない「現実」』を乗り越えることが出来ない障壁となっている。
その「水平線」は今や「二階」と「一階」をしきる見えない「壁」となってしまった。東九条マダンについては後々この連載において再び詳細な検証をする。
ここまで書いた①,②,をまとめてみる。
①の「希望の家カトリック保育園」における「多文化共生保育」には、民族差別という『「共に生きる」ことができない「現実」』がその根底にあり、
その現実に取り組むための「多文化共生」がある。
②の東九条マダンには、「帰化した在日」と「在日のままでいた在日」の間にある分断や、
在日と日本人との間にある分断という『「共に生きる」ことができない「現実」』があり、
東九条マダンにおいてはその「現実」を共に生きるための実践として「多文化共生」や「共生」ということばが使われている。
しかしその水平性が強調されるあまり「階級」という垂直軸の分断が見えなくなるという未だ解消されない『「共に生きる」ことができない「現実」』もある。
それは東九条マダンにおける今後の課題であろう。
①②の東九条に纏わる二つの多文化共生を見ていくと、同じ多文化共生ということばでもその内実や抱えている問題はそれぞれ異なるものであることがわかる。
東九条多文化共生エリアの中ですら、その多文化共生には様々なバリエーションや違う現実があるのだ。
だが、①②を見てわかるとおり、なるほどそこには『「共に生きる」ことができない「現実」』が確実にあり、
その現実に取り組むために「共生」や「多文化共生」ということばを使う必然性があることは理解できる。
そのことを踏まえた上で、これから残りの③「京都・東九条CANフォーラム」、
④「京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン」、⑤「アート系共生」における『「共に生きる」ことができない「現実」』とは何なのかを見ていく。
連載次回では、東九条における3つ目の多文化共生、「京都・東九条CANフォーラム」について書く。
参考文献
・「資本主義と他者」 荻野昌弘 関西学院大学出版会
・「在日外国人問題の同時代性と地域性──川崎市・京都市・大阪市の地域福祉と学校教育──」 元森絵里子
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/record/3724/files/shakaifukushi_159_1-38.pdf
・「複合的不利地域」におけるコミュニティ実践に関する研究 ―京都・東九条を中心に―」 石川久仁子
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/22235
2025年11月24日