【連載】『東九条、死者無き多文化共生の行方≪25≫』

〈雑談その3〉

歴史感覚と人権意識 二つの道

   
「平山さんはスターシードなんですよ。」と唐突に言われたことがある。その人も「スターシード」らしい。聞くところによると、スターシードとは魂のルーツが宇宙の星?や星団や銀河?高次元にあって、 そこから何らかの使命をもって地球にやってきた人とのことである。シリウス、プレアデス、アンドロメダ、オリオン、…。なるほど。 この「スターシード」ということば、所謂スピリチュアル系の「世界観=他者理解」なのだが、確かにスターシードとやらは荒唐無稽な「世界観」で、一般的にはスピとして一笑に付されるようなものだが、 この「世界観」を「歴史感覚」再生のための営為としてみるならば、滑稽だと笑うことはできない。
   
平山はこの連載で東九条地域における代々住んでいる「根付き」の住人と外からやって来た「根無し草」の関係者との断絶や軋轢の事を書いている。だがこれは何も東九条に限った話ではない。 現代人の「根無し草性」が人間を虚無化させるひとつの要因となっていることに疑いはない。連載前回で平山は
   
「歴史感覚」とは「わたし(アイデンティティ)」がそこから生じてくる源泉である。歴史感覚が無ければ「わたし(アイデンティティ)」は生じてこない。
   
アイデンティティとは「生きているわたし」の感覚、
   
歴史感覚とは「生かされているわたし」の感覚
   
と書いた。
   
平山の場合、その「歴史感覚」とは東九条という「地縁」と平山家という「血縁」そして在日韓国朝鮮人という「来歴」から生じている。 だが、「根無し草」には「地縁」「血縁」「来歴」に「現実感」を感じることが希薄なため、「歴史感覚」も希薄になる。 故にその「アイデンティティ=わたし」の根拠が希薄になる。自身の血縁や地縁や来歴に「歴史感覚」を感じることができないのであれば、別の何かによって「歴史感覚」を再生するしかない。 だからこそ「スターシード」という「世界観=他者理解」をもってくる必要性がそこにはある。この地上に「歴史感覚」を感じることができないのであれば、宇宙にそのルーツを求めるよりほかない。 確かにスターシードなる世界観は荒唐無稽ではあるのだが、平山はそれを笑い馬鹿にすることはできない。その根源には「歴史感覚」を求めそれを回復しようとする切なる願いがあるからである。 念のために書いておくが、平山はスターシードではなくパラダイス銀河だ。
   
このような「歴史感覚回復活動」はこの社会のあちらこちらで見ることができる。ルーツを「遠く」に求めるという意味ではある種の縄文ブームもそうだろう。 その排外主義が指摘され指弾されている「日本人ファースト」もそう。 さらに言うならば、ネット右翼や在特会などにみられる極端な排外主義も歴史感覚の無さの裏返しであり、外国人を排斥することで「歴史感覚」を再生しようという試みだともいえる。 そして浜辺ふうと山崎なしによる東九条歴史改竄や在日の歴史を歪め貶める表現活動は在日の歴史感覚を「簒奪」しようとする営みであることはこの連載においても指摘した通りである。 そして残念ながらそれらの「歴史感覚回復活動」は空転し、失敗することになる。差別や排除や簒奪によって歴史感覚が回復することなどないからである。
   
浜辺ふうが語る、自分は東九条において在日のコミュニティから排除されてきた被害者だという「世界観=他者理解」も、 排外主義者のレイシストの日本の中枢は在日によって支配されていて日本人は在日によって奪われている被害者だという「世界観=他者理解」も構造は同じ。 マイノリティによってマジョリティが抑圧され排除されているという「世界観=他者理解」。 もちろんそこが東九条という小さな地域だろうが、日本という大きな国だろうが、圧倒的少数者である在日韓国朝鮮人が圧倒的多数者である日本人を排除することなどできない。
   
だが、浜辺ふうや排外主義者の「世界観=他者理解」をつぶさに見るならば、彼女彼らが本当は「何」から排除されたのかといえばそれは「歴史感覚そのもの」から排除されたのだということがわかる。 浜辺ふうにしてみれば、自分は東九条で生まれ育ったのに「東九条の歴史感覚」から排除された、と。排外主義者にとってみれば、自分は日本という国に生まれ育ったのに、「日本の歴史感覚」から排除された、と。 浜辺ふうにしても、排外主義者にとっても、「歴史感覚を持たざる」自分たちを「歴史感覚」から排除した加害者は「歴史感覚を持つ在日」である、ということになる。 もちろんそんな事実は無い。そんな「世界観=他者理解」は被害妄想にすぎない。
   
今しがた「東九条の歴史感覚」「日本の歴史感覚」と書いた。もちろんこれはある。あるが、平山にとって「東九条の歴史感覚」という設定はちょっと範囲が大きすぎる。 せいぜい、東九条の中の現在自分が住んでいる「宇賀辺町」のさらに一角の土地に根差した「歴史感覚」、かつて住んでいた「南松ノ木町」に根差した「歴史感覚」、 あるいは自分が通った小学校区の「陶化小学校区」に根差した「歴史感覚」くらいの小さいせまい範囲のものである。 何故なら東九条といっても自分が住んだ町内以外の他の町内のことは知らないしそこで生活もしていないからである。だから実は「東九条」と大きく範囲を設定してもおれはそこに「現実感」を感じない。 東九条の中の小さな小さな区域だけが「平山の世界≒現実」である。だけどそれこそが現実の「地縁」というものだろう。
   
排外主義者のいう「日本」というのも大きすぎるくくりなのではないかと感じる。浜辺ふうの言う「東九条」もそう。範囲が大きすぎてそれは「地縁」となりえない。 「地縁」となりえないのだからそれが「歴史感覚」となることは無い。だからいくら「日本だ!」「東九条だ!」と叫んだところで「歴史感覚」が再生することはない。 一時の高揚感はあるだろうが、その後やはり自分は「歴史感覚」から排除されたという惨めさだけが積もるだけである。 そして本連載で指摘した、京都・東九条CANフォーラムが訴えつづけた「東九条は多文化共生のまちです」という主張も、「歴史感覚の捏造」であるといえる。CANフォーラムが失敗したのは「地縁」を無視したからである。
   
東九条には浜辺ふうのみならず、そんな「地縁」の無い「根無し草」が一定数やってくる。 「東九条多文化共生エリア」を構成する人間は殆どがこの「根無し草」である。ここには「東九条の歴史感覚がある者」と「東九条の歴史感覚が無い者」との分断と対立と軋轢が生じる。 およそ三年まえから始まった平山の一連の抗議活動もこの分断と軋轢から生じている。
   
40数年ほど前に東九条にやってきて、東九条で働き、家も持ち、子どもも育て、東九条で活動している方がある時「わたしはいつまで外から来た人て言われつづけるんやろな」と言ったことがある。 確かに40数年住んでいるのにいつまでも「外から来た人」と言わるのは悲しいものがあるだろう。 だけど平山から見てもその人はやっぱり「外の人」なのだ。ことばにできない感覚がちがう、時間がちがう、「歴史感覚」がちがう。「地縁」ができるという事のひとつは、その土地に「死者」がいるかということではないだろうか。 つまり身内がその土地で死んでいるということである。
   
その土地で死んだ死者はその土地の大地となる。その「死者=大地」を踏みしめて歩くこと。死者がその土地で死んだのならば、もはやその土地はただのアスファルトの道ではなく「大地」となる。 それからは毎日毎日、死者を踏みしめて歩くことになる。「大地」を「踏みしめて」歩く時、わたしは生きているのではなく生かされていることを知る。それが歴史感覚というものではなかろうか。
   
大地があること。それが歴史感覚だと、平山は思う。大地とは死者たちの堆積であり、生命そのものだからだ。その大地を毎日踏みしめて歩く時、わたしは「生かされている」と感じることができる。 顔のある死者に、顔の無い死者たちに、生かされていると感じて生きることができる。
   
顔を知っている「死者」がもっと深く深く広く広く、顔の無い「死者たち」となる時、生まれ故郷以外の世界のどこを歩いたとて、そこに「死者たち」を感じて歩くことができる。それがよその土地への「敬意」というものだろう。
   
東九条地域にやってくる多くの「二階三階」の関係者にはこの「死者たちへの敬意」がない。「大地への敬意」が無い。彼女彼らには「大地」が無い。 そのかわり「多文化共生」だの「共生」だの「共生と分有のトポス」だの間抜けた御託だけは並べてこの大地=死者を「踏みにじる」。
   
死者たちへの敬意がある者は、どの土地であろうと、「大地=死者を踏みしめる」。
死者たちへの敬意が無い者は、どの土地であろうと、「大地=死者を踏みにじる」。
   
虚無たちは、ずっとこの「大地=死者」を踏みにじり続けている。
   
死者たちへの敬意は「歴史感覚」から生じる。だが、もはやこの社会で、「歴史感覚」がある者は少数となっている。
   
当然この不幸は個人の責任ではない。近代の宿痾である。一朝一夕に解決できることでは無い。もはや解決は不可能だろう。だからおれはスターシードを笑うことはできない。 排外主義者のレイシストにすら、その歴史感覚回復のための悲痛な空回りを見る。 そしてそもそもは最近日本にやってきたニューカマーの外国人のための「施策」であった「多文化共生」が「根無し草の日本人」のための「思想」となったこともその「歴史感覚」の欠如に由来するものである。
   
これは単純に分けることはできないが、政治心情的に右派の人たちは「歴史感覚再生」のための努力をしようとし、左派の人たちは「歴史感覚再生」は不可能であるという前提のもとに関係を構築しようとする。 だから俗流スピリチュアルが右派と相性がいい、そして排外主義と結びつきやすいのはこの「歴史感覚再生」志向があるからなのではないかと平山は見立てている。 一方左派やリベラルといわれる一群が嫌われやすいのは「歴史感覚再生」をそもそもしない、その代わりに人権ベースで関係を構築しようとするからなのではないか。 多文化共生もまた「歴史感覚再生」はせずに人権ベースで人間関係を構築しようというやり方である。だがそれには「二階」の知性が必要になる。人権ベースで人間関係を構築しようとするとき「階級」の分断が顕わになる。 そして「二階、三階」の一群はこの「階級」の分断に応える術やことばや身体を持っていない。
   
歴史感覚の回復再生。これは非常に難しい。何故か?。歴史感覚は近代的な知性や世界観と相性が悪いからである。平山は「地縁」「血縁」「来歴」と書いたが、この三つの言葉を並べただけで嫌悪感を感じる人もいるだろう。 特に人権意識が高い人はそうではなかろうか。そしてその心象もおれはよくわかる。何故なら「地縁」「血縁」「来歴」は差別の原因となり、差別や身分や階級を固定化するからである。 「歴史感覚=他者理解」は非常に「非近代的」な「世界観=他者理解」であり、感覚である。
   
だから「歴史感覚」は体得しても「差別」はしない、という非近代的知性と近代的知性の両立というとても難しい統合感覚が必要となる。
   
理想的な状態とは「①歴史感覚も人権意識もある」という状態だろう。 だが現実にそんな人は少数派で、現実は「②歴史感覚はあるが人権意識は希薄」「③人権意識は高いが歴史感覚は希薄」「④歴史感覚も人権意識も無い」のグラデーションだ。 東九条多文化共生エリアの関係者は「③人権意識は高いが歴史感覚は希薄」が多い。多文化共生思想とはこの③の一群のための思想である。 興味深いことは京都市立芸術大学は「④歴史感覚も人権意識も無い」であったということである。 「三階」の大きな組織が何故こんなことになるのか、そもそも「三階」とはそういう世界なのか。ここに「二階」と「三階」の世界の違いが垣間見える。 「④歴史感覚も人権意識も無い」京都市立芸術大学の企画が「共生と分有のトポス」であったこと。これはきちんと検証されなければならないだろう。
   
アイデンティティは「歴史感覚」から生じると書いたが、もちろんそれだけではない。 「アイデンティティ」には横糸と縦糸とがあって、 現在の人間関係や社会的な関係性や位置から生じる「アイデンティティ」が横糸だとすれば、自身の「血縁」「地縁」「来歴」を入口とした「歴史感覚」から生じる「アイデンティティ」が縦糸である。 横糸は関係が変われば即変化するので「相対的アイデンティティ」であるが、縦糸は変わらないので「絶対的アイデンティティ」だといえる。相対と絶対。「わたし」には両方必要なものである。
   
そして当然「絶対的アイデンティティ」は近代的な知性とは相性が悪い。「血縁」「地縁」「来歴」によって人生が決まってしまうことは耐えがたい苦痛であるし、この「絶対」が社会化される時、差別や支配、搾取、抑圧となる。 だからといってこの「絶対性」を無化してしまえば「わたし」はただの「根無し草」となり、どこまでも「相対化」され、「無限に差異を細分化」された社会を浮遊するだけの「虚無」となる。
   
絶対が無いから、相対の人間関係の中でひたすら数字の大きさを競うゲームをすることになる。どれだけ稼いだか、どれだけモテたか、どれだけ地位や名誉があるかだけが「わたし」を意味づけ価値づける。 ナンバーワンになったところでそれはどこまでも「相対」の世界でしかない。「絶対」がなければその「相対」は根拠のない苦しみでしかない。「わたし」が「わたし」を創作=捏造しつづけなければいけないのは地獄だろう。
   
ここまで相対化細分化された社会で、これが歴史感覚再生の方法だというものは無い。それは一人一流派となる。
   
ただそれが何であれ、相対と絶対が交わる場とは身体である。この身体は長い歴史、そして現在の広がりにおいても唯一の身体である。それは相対の極致でありかつ絶対である。 比較できる場でありかつ比較を絶する場でもある。そして歴史感覚を体現するのも身体、人権意識を体現するのも身体である。
   
死者とは運命である。この両親から生まれてきた「わたし」という運命は変えることができない。
   
「死者に生かされている」というが、それは私を拘束し、硬直させる「呪い」でもある。
   
この「呪い」を生き切り運命を全うすることで「自由」となるのが「歴史感覚」の道である。
   
この「呪い」から逃げ切り運命を解体することで「解放」されるのが「人権意識」の道である。
   
現代は、この二つの道を両方歩かなければならないという困難さがある。が、在日韓国朝鮮人というけったいな存在は、一世、二世、三世、四世と数世代にわたってこの二つの道の両方をゆれゆれながら歩いてきた。 在日韓国朝鮮人という謎の民族は近代の宿痾が生んだ、近代そのものである。近代が生んだ近代。それが在日韓国朝鮮人である。 根無し草にして根付き、囚われながら自由で、拘りながら解放されていて、呪いにして愛、酔いながら醒めていて、卑しくて聖、生きながらに死んでいて、死にながらに生きている。 この在日という運命を呪いながらも愛しんでいる。この呪いを解体しようとする一方、この呪いを成就しようとしてきた。三世代、四世代、にわたって。 そこには運命にとどまった者と、運命から逃げた者との対立もあった。だけど対立しながらその二つの道を同時に歩いてきたのだ。 それは数世代の対立と分断と横断を繰り返して「自由と解放」、「歴史感覚と人権意識」という相反する道をひとつの身体で矛盾なく感得し、ことばにすることができるところまできた。 少なくとも、平山は。だがこれは、在日というけったいな運命を数世代にわたって生きて死んだことによってできたことであって、平山個人の感性や成果ではない。それは死者たちの愛がなせる業である。 そしておれが「死者たち」と言う時それは、在日韓国朝鮮人の「死者たち」だけをさしているのではない。それはもちろん「日本人の死者たち」も含んでいるし、それはあまねく広く、深く、「死者たち」である。
   
「わたし」個人が何かを無しえることなどない。それは深くは死者たちの愛の成就であり、広くは現代を生きるこの世界の生きとし生けるものたちとの響き合いの結晶化である。
   
つづく。
   
参考文献
   
「死と狂気」 渡辺哲夫 著 筑摩書房
   
「資本主義と他者」 荻野昌弘 関西学院大学出版会
   
本連載に書かれている「死者」や「死者たち」「歴史感覚」については渡辺哲夫さんの著作「死と狂気」から大きな影響を受けて書いています。 また、「世界観=他者理解」という図式は荻野昌弘さんの「資本主義と他者」という著作から影響を受けて書いています。 また機会があればそのことについても書きたいと思いますが、両方とも名著です。機会があれば是非読んで頂きたいと願います。 平山の漠然とした感覚や直感に明確なことばや世界観が見つかるというのは僥倖であり、このお二人だけではなく、多大な書籍や著者の影響によってこの連載は書かれています。まさに、死者たちからことばを借りて書いています。
   
ありがとうございます。
    

   

    

2026年2月2日

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