「宙」のまつり東九条マダン。「みんな」のまつり、東九条マダン。その東九条マダンは梁民基氏が韓国から輸入してきた「民衆文化運動」にその源流がある。
平山はこの連載において、
韓国での独裁政権への抵抗運動としての下から上への抵抗という「垂直」方向性を持った「民衆文化運動」が東九条マダンにおいては
「在日韓国朝鮮人も日本人も共にひとつのまつりをつくる」という「水平方向」の連帯へと90度傾いたものとなったという事を指摘した。
そう、東九条マダンは在日のまつりではなく「みんな」のまつりである。
・韓国の民衆文化運動→①下から上への「抵抗」 垂直方向性 主体は「民衆」
・東九条マダンの民衆文化運動 …①横から横の「連帯」 水平方向性 主体は「みんな」
同じ民衆文化運動でも「抵抗」と「連帯」では随分異なるものである。「抵抗する民衆文化運動」と「連帯する民衆文化運動」。
ここで問われなければならないことは民衆とは何なのか、民衆とは誰なのかということである。
「抵抗」といっても、それは軍事独裁政権への「抵抗」であると同時に、それは階級闘争であり、南北分断への闘争であり、大日本帝国による植民地時代の統治の残滓への闘争でもあり、
民族性を回復するための闘争でもあり、光州事件以降は反米闘争でもあった。
その「抵抗」には様々な問題が複雑に複合的に重なっていた。
だから韓国の民主化運動において、その「主体」は「民衆」であると言う時、その民衆は軍事独裁政権によって「虐げられている民衆」としての「主体」、
階級によって経済的社会的政治的に奪われ疎外されることよって「虐げられている民衆」としての「主体」、
南北分断によって「虐げられている民衆」としての「主体」、米国によって主体性を奪われ「虐げられている民衆」としての「主体」、
大日本帝国によって破壊され奪われた過去によって「虐げられている民衆」としての「主体」、近代によって「歴史感覚」を破壊されることによって「虐げられている民衆」としての「主体」、
そんな「主体」を回復再生確立させる営みの全てが「民主化運動」であり「民族運動」であり「民衆運動」であり「民衆文化運動」であったのではないのか。
それは「主体の回復」というよりはもっと根源的な「人間が人間であることの回復や再生」であるように平山は感じる。
だから民主化運動に関連する書籍を読んだり映画を見たりするとそれは知的な情報に触れる以上の、魂を揺さぶられるような、そして自身の人間性が回復するようなそんな感覚になる。
そもそも韓国の民主化運動と連動した「民衆文化運動」とは命がけの人間回復再生運動だったのだ。
当時の人たちは軍事政権に弾圧され、不当な逮捕や拷問を受け、時に酷い拷問を受け、時に命を落としてでもその民主化運動、そして民衆文化運動をつらぬいた。
すると同じ「民衆」でも東九条マダンの「在日韓国朝鮮人も日本人も共にひとつのまつりをつくる」という「水平方向」の「民衆」とは全く異なる「民衆」であることがわかるだろう。
だがそもそも東九条マダンは「民主化運動」をしているわけではないので下から上の垂直軸は必要が無いというか邪魔にすらなる。
「在日韓国朝鮮人も日本人も共にひとつのまつりをつくる」そんな「みんなのまつり」に垂直軸は必要が無い。
東九条マダンが始まった当時、やはり「何故在日が日本人といっしょにやるのだ?」という非難や批判を受けたという。
「在日韓国朝鮮人も日本人も同じ「民衆」だから」という理路はその問いへのひとつの答えというか「方便」だったのかもしれないが、
在日と日本人という「分断」や「対立」を乗り越えるという意味ではその水平軸の「民衆」は画期的であったのかもしれない。
だが平山がこの連載で指摘した通り、東九条マダンの中心はほぼ、階級上昇した大卒の「二階」の人間で構成されている。
この「水平軸」はあくまで「二階」の世界での水平性であって、故に東九条「一階」の地域住人と連帯をすることは無かった。
かたや韓国の民主化運動における「民衆」は「垂直軸」であったため、階級上昇した「二階」のインテリ層や学生も、市井の「一階」の労働者たちもともに垂直の連帯をすることが可能になった。
この東九条マダンの「二階の世界だけの水平軸の連帯」と韓国の民主化運動における「二階と一階の垂直軸の連帯」とでは同じ「民衆」でも全く質が違うものであることが理解できるだろう。
そしてさらにこの「垂直軸」は「下から上」のみならず「下から下」つまり「下から地下」という「垂直性」がある。「下から下」それは「死者」である。
韓国の民主化運動は死者が動かしてきた。
真鍋祐子 「烈士の誕生 韓国の民衆運動における恨の力学」 平川出版社 より引用する
以下引用━━━p8
韓国の現代史は「死」によって動かされてきたといわれている。時代と時代の裂け目に、既存社会の不条理を象徴する衝撃的な大量死あるいは個人の死が発生すると、
それが引き金となって、もとより国民の間に鬱屈していた不条理感が一気に噴き出し、社会の構造に大規模な地殻変動をもたらす原動力になるのである。
大量死としては一九八〇年の光州事件があまりにも有名だが、このとき露呈された軍事政権およびそれを支持するアメリカに対しての不信感は、その後も運動の基本イシューの一つとして受け継がれている。
また個人の死では、四・一九学生革命を引き起こす導火線となった高校生・金朱烈の惨殺事件(一九六〇年)、六〇年代以降の飛躍的な経済復興の陰で抑圧されていた労働者・都市貧民における生存権の問題を、
焼身自殺というセンセーショナルな手段でもって初めて世に認知せしめた全泰壹事件(一九七〇年)などが、その雛形として明記されよう。
とりわけ八〇年代以降、こうした抗議性と演出性を兼ね備えた自殺は学生運動や労働運動の場面で頻繁に行われるようになっており、
最も記憶に新しいところでは、一九九一年の「五月事件」があげられる。これは示威参加中の大学生姜慶大君が機動隊の鉄パイプによって撲殺された事件をきっかけとして、
全国的に広がった焼身自殺の熱病的なムードのことを指しており、およそ一ヶ月の間に八人もの若者が犠牲となった。
全泰壹依頼、韓国の運動家による死の抗議は方法の凄惨さにおいてすでに知られているところだが、
「五月事態」がさらに我々の関心を引いたのは、ある死にざまに対してこれを英雄視し、≪烈士≫(ヨルサ)という名で祀り上げるといった行為が、
事件当時の生々しさでもって繰り返し行われている所似であろう。
━━━引用以上
さらに引用する。
以下引用━━━p337
韓国の運動圏における民主化闘争は、死者と生者の連帯の裾野でより広汎に、より社会的に展開される「遺志の社会化」であると考えられる・これは死者の「遺志」なる実体を想定し、
その継承を何らかの社会的活動に変えることで、死者を生き続けさせようとする心理規制に起因する。
それはまた永続的な死者との対話を意味することにもなるだろう。≪烈士≫たちの「遺志の社会化」は、民族と祖国の統一にほかならない。
死の責任主体が「他者型」に求められるとき、彼らを殺した独裁政権の背後には社会の構造悪が見出され、さらにその元凶は「分断」という名の〝悪神〟に見出されるからだ。
学生たちと連帯しながら遺志の成就を目指す作業は、同時に遺族たちの「恨」━━死者を悔やむ「恨」、および自責感としての「恨」━━を「洗い流して」ゆく過程でもある。
やがて「恨解き」が完遂され、民族統一の実現されるとき、死者もまた民族・祖国とともに復活するのだと観念される。
━━━引用以上
下(一階)から上(二階)への垂直軸と、下(一階)から下(地下=死者)という垂直軸。韓国の民主化運動における「民衆」とはこの
「地下∞一階∞二階」
を貫く垂直軸であることが理解できる。そして「死者」と連帯している以上その社会運動には宗教的感性がそこに駆動している。
東九条マダンが「民衆」を垂直軸から水平軸に変えた時、「下から上」という抵抗性と同時に「下から下」という死者性をも失ったことが理解できるだろう。そう東九条マダンはまさしく、
「東九条死者無きマダン」
である。
そこに死者がいないから「祭」ではなく「まつり」なのだ。
そこに死者がいないからこそそこには「大地」が無い。
そこに死者がいないからこそ「主体」は浮き上がり「宙」となる。
そんな水平の「民衆文化運動」東九条マダン。
尹健次 「現代韓国の思想 一九八〇━一九九〇年代」 岩波書店 p52より引用する
以下引用━━━
一九八〇年代の民主化運動を論じるとき、民衆文化運動が果たした役割を過小評価すべきではないだろう。
七〇年代に民族文学の始動など、文学運動を中心に成長し始めた民衆文化は、七〇年代半ば以降、仮面劇やマダン劇、歌声運動など、多様な発展をみせ、労働運動など民衆運動との接点を模索しはじめた。
大学街を中心に仮面劇やマダン劇など伝統的民族文化にたいする関心が爆発的にひろがり、とくに仮面劇は民主化運動の象徴的意味をもつまでになった。
これらが七〇年代の文化運動を主導したのは、維新独裁にたいして強く抵抗し、またほかのどんな表現手段よりも苦境にあえぐ民衆のイメージを代弁しやすかったからである。
仮面劇やマダン劇は、クッ(歌舞賽神する巫俗的祭り)や農学、民謡などの伝統的要素と演劇、歌などが結びついたもので、労働や農業の現場で多様な形態で演じられ、娯楽性もあったため、
民衆の意識化と闘争の主要な武器となった。また歌声運動は、七〇年代はじめのフォークソングがその出発点であったが、やがて各大学のサークルなどによって戦闘的な運動歌謡として定着し、
それが労働現場や農村にも入っていった。
一九七〇年代半ばまで「大学文化」の枠を超えられなかった民衆文化運動は、こうして八〇年代に入ると労働運動その他の急速な発展に勢いをえて、民衆の生の哀歓を描写し、
運動の現場と直接結びつくようになった。
━━━引用以上
この文章を読むと、「民衆文化運動」が「民主化運動」と不可分であったことが理解できる。
そして「二階」のエリート層だけではなく工場や農業の現場でまさに「一階」の「民衆」が主体となっている運動であることがよく理解できる。
同じ「民衆文化運動」と称しても東九条地域「一階」の住人がほとんど参加しない東九条マダンとは随分風景が違うことがわかる。
東九条マダンにおける「民衆文化運動」とは
民主化運動無き民衆文化運動
民族運動無き民衆文化運動
抵抗運動無き民衆文化運動
暴力無き民衆文化運動
死者無き民衆文化運動
そして
民衆無き民衆文化運動
であることがわかる。
それはもはや民衆文化運動でもなんでもない、民衆文化運動のコスプレなのではないのか。
東九条マダンは朝鮮文化のコスプレイベントだと書いてきたが、そもそもその始まりが民衆文化運動のコスプレだったといえる。やはり「民主化運動無き民衆文化運動」には相当な無理がある。
民主化運動の「主体」は「民衆」であり、民主化運動とは軍事独裁政権への闘争によってその「主体」を奪い返し回復する運動でもあったはずだ。
ならば「民主化運動無き民衆文化運動」とはすなわち「主体無き民衆文化運動」でもある。
つまり、東九条マダンにおける主体の「宙性」の起源はこの「民主化運動無き民衆文化運動」=「主体無き民衆文化運動」にあるということが理解できる。
韓国の民衆文化運動における「民衆」とは「主体」そのものであった。だが東九条マダンにおける「民衆」とは「宙化された主体」のことであった。
つまり東九条マダンにおいては「民衆」ということばが「主体を宙化する」作用をもたらしたわけだが、
これは「在日と日本人がともにひとつのまつりをつくる」ためには在日も日本人も「主体を宙化」する必要があったからである。
つまり在日と日本人がお互いの「差異」を保持したまま関わるのではなく「民衆」という普遍的な言葉で「同一性」の中に差異を溶かして交わり合うという「構造」をつくったのだ。
だから東九条マダンにおける民衆とは「みんな」という程度の意味しかない。在日でも無い、日本人でもない「みんな」という「宙化した主体」
だから東九条マダンにおける「民衆」とは実際に参加者が底辺層の「民衆」である必要は無く、
この「在日と日本人がともにひとつのまつりをつくる」という「構造」をつくるための概念操作のための「民衆」であったにすぎないことがわかる。
だがそれは韓国の民主化運動における「民衆」でも同じ側面があった。「民衆」とは発見され、発明され、演じられたものであった。
真鍋祐子 「烈士の誕生 韓国の民衆運動における恨の力学」 平川出版社 p26より引用する
以下引用━━━
さて、ある学生なり労働者なりが、政治的な方向性を持つ集団に加入した場合、彼らは「知識技師」から「知識人」、
さらには一個の「対自的民衆」という共通の「ペルソナづくり」にこぞって取り組むことになる。このとき、演技者が与えられた役に一体化しているか否か、
第三者には全く秘められているのと同様に、彼らもまた「対自的民衆」をどれだけ自分の者となしえたかは知られる由もないのである。
あたかも演劇が自明性の約束事によって、そのあらゆる欺瞞性を免責されているように。
筆者が立脚する見地とは、自殺を含む運動圏の行為自体を「演じられた」ものとして捉えることである。
事実、その象徴的な現れが、七〇年代初頭の大学街で誕生した仮面劇である「マダン劇」だった。
それは「権力エリートVS民衆」「国家VS個人」など、主体と客体の対抗的関係によって構成される社会劇で、
「民衆の慨嘆/権力者の揶揄と諧謔→抵抗・蜂起→権力者の放逐/民衆だけの世界の構築→民衆の勝利に対する熱狂と歓呼」といった一連の「儀礼化された転覆」(または〝転覆の儀礼〟)を含んでいる。
とりわけ八〇年代のマダン劇は、それへの参与が主に知識人たちによってなされてきた点が注目される。
「民衆」の仮面をかぶった「知識人」たちは、マダン劇のルーツである〝タル・チュム〟(仮面劇)より受け継がれた「下層民の言語」を駆使しながら、
まさしく「民衆を演じていた」わけである。前述したように、大学生たちの示威参加と社会階層的背景の間にはほとんど相関性が見出されないといった事実も、
その点を裏付けているといえるだろう。
要するに運動圏が即、階級的意味における「民衆」というわけではなく、しかしそうであるにもかかわらず、彼らはみずからをもって「民衆」の代弁者と任じているのだ。
これはひとえに、「知識人」=「対自的民衆」の「ペルソナ」を獲得するべく訓練された賜物ではなかろうか。
━━━引用以上
引用文>「要するに運動圏が即、階級的意味における「民衆」というわけではなく、しかしそうであるにもかかわらず、彼らはみずからをもって「民衆」の代弁者と任じているのだ。」の通り、
韓国における民主化運動においてもその「主体」はエリート層の学生であった。一九七〇年におきた全泰壹事件がきっかけとなり学生と労働者が連帯することにはなるのだが、
ともあれその主体は「民衆を自認するエリート層」であった。
韓国の民主化運動においても「民衆」とは「発見」され「発明」されそして「演じられた」ものであった。
ただし、それは文字通り命がけの「演じ」であり「変身」である。民衆文化運動もそうである。だからそれは決して東九条マダンのコスプレと一緒にしてはいけない。
同じ「マダン劇」でも、民主化運動としての民衆文化運動と、みんなのまつりのそれとでは質が全く異なる。
東九条マダンで「マダン劇」をしたとて弾圧されることも暴力を受けることも無いのだから。
ここで平山が問いたいことは、何故エリート層は「民衆」を演じる必要があったのかということである。
つまり「民衆」に何を投影していたのかということであり、なぜ「民衆」を演じることで何故独裁政権を倒すことができると信じたのかということである。
そして実際に「民衆」は勝利したのだ。社会や権力から疎外され虐げられ、収奪されるだけのいわば社会的な底辺層の「民衆」に何の「力」や「主体」があったのだろうか。
日本に「民衆文化運動」を紹介し輸入した梁民基氏も「民衆」の力を信じ夢を見ていた人である。そして多くの在日や日本人が影響をうけ「民衆」に何らかの「夢」をみた。
だが東九条マダンからは「民衆」すら消え去り「多文化共生のまつり」といううすら寒いことばだけが太鼓を叩いて踊っている。
現代においてもはや「民衆」など存在しない。ただバラバラとなった個の群衆である「大衆」だけがある。だが、この時代に、この時代だからこそ「民衆とは何か?」を改めて考えてみたい。
かつて、そして現代においても「民衆」ということばに人は何を投影し、「民衆」と自称することで人は何を引き受け、「民衆」に何の夢を見て、そして「民衆」が目覚める時とはいかなる時なのか。
そして民衆は本当に消えたのだろうか?消えたとしたら、どこに消えたのだろうか?
参考文献
真鍋祐子 「烈士の誕生 韓国の民衆運動における恨の力学」 平川出版社
尹健次 「現代韓国の思想 一九八〇━一九九〇年代」 岩波書店
滝沢秀樹 「韓国社会の転換 変革期の民衆世界」あごら叢書
梁民基 久保覚 編訳「仮面劇とマダン劇 韓国の民衆演劇」 晶文社
上別府正信 「恨とは何か? 韓国の文化的アイデンティティを読み解く」 風響社
古田富建 「恨の誕生 李御寧、ナショナルアイデンティティー、植民地主義」駿河台出版社
梁官洙 「韓国民族民主運動の軌跡: 1980~1992 」柘植書房
池明観 「韓国 民主化への道」 岩波新書
尹健次 「現代韓国の思想」 岩波書店
梁民基記録集編集委員会 「みずからの文化を創り出す 梁民基記録集」
2026年6月28日