【連載】『東九条、死者無き多文化共生の行方 ≪50≫』

東九条多文化共生エリアとは何だったのか。

京都市・東九条「多文化ドメスティックバイオレンス共生」

   
   
    東九条という地域は現在二つの語られ方をする。
   
一つは、東九条が多文化共生の街であるということ、もう一つは東九条がジェントリフィケーションの危機にさらされているということ。
   
この二つの事象は、どのように関係し、重なっているのだろうか?
   
現在東九条地域は京都市による矛盾した施策によって、ダブルバインドの状況を強いられている。まず東九条地域は
   
①京都市による「物理的ジェントリフィケーション施策」である「京都駅東南部エリア活性化方針」が実行されている。
   
②そこに、京都市の「多文化共生施策」である「多文化が息づくまち・京都」が重なっている。
   
京都市は
   
①において「地域を破壊」する施策をしておきながら、同時に②において多文化共生という「地域を前提」としたダブルバインド施策をしている。
   
ダブルバインドはDVやハラスメントの基本的な手口である。 そしてそのダブルバインドを具体的に実行するのが「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」であり、施設長の前川修である。
   
平山は、現在東九条多文化共生エリアは、いわゆるDVやハラスメントに類する状況下に置かれていると認識している。
   
平山がこのエリアに関わり始めてもう六年ほどたつが、東九条多文化共生エリアにおいて、地域住人を差別したり侮辱したりするような異常な事例が数件起きている。 だが、平山以外「誰もその事に気が付かない」。 それは何故かというと、DVやハラスメントを受けている者はそもそも自分が異常な状況にあることすら認識できないからである。 それに気が付くことができるのはその環境の外部の者だけだ。
   
東九条という地域は在日の集住地区といわれるが、当然日本人の方が多い。とはいえ、この地域に住んでいる住人は「一階」の世界の者が多い。 そしてこの連載でずっと指摘し続けていることだが、東九条マダンをはじめとする、「東九条多文化共生エリア」の中心にいるのは東九条の「外」から来た、 大卒の階級上昇した「二階」の世界の者たちである。東九条地域といってもこの「一階」の世界と「二階」の世界は全く異なる世界であるということ、 そして最近京都市立芸術大学という「三階」の世界が東九条の隣にやってきた。
   
アートと若者を中心とした街づくりを進める京都市の「京都駅東南部エリア活性化方針」。これはつまり簡単にいえば、東九条地域を「二階」の街にするということである。 であるがゆえに東九条の「一階」の地域住人のことなど一顧だにせず、住宅地を無理やり商業地に変え、オフィスビルやホテルやアート施設を乱立させ、 「一階」の地域住人が住みにくい街づくりを「意図的に」進めている。
   
京都市の「京都駅東南部エリア活性化方針」の対象地域は物理的に「東九条多文化共生エリア」と重なっている。 つまり、京都市の、東九条地域から「一階」の住人を追い出して「二階」の世界の街づくりをするという方針と、「東九条多文化共生エリア」を構成する人々の「世界」は一致している。 「東九条多文化共生エリア」から「一階」の住人をお追い出しさえすれば、「二階」の世界だけがそこに残る。
   
では、東九条多文化区共生エリアの「二階」の世界の人たちは、「京都駅東南部エリア活性化方針」に与する側の人たちなのだろうか? それとも、「一階」の世界の人たちの側に立って、「京都駅東南部エリア活性化方針」に異議申し立ての行動をする側なのだろうか?
   
この議論を進める前に、そもそも「多文化共生」とは何なのかを確認しておきたい。
   
多文化共生とは行政の施策である。それ以上でもそれ以下でもない。多文化共生とはまるで何かの思想や規範として語られることが多いが、 そもそも、ニューカマーの外国人が地域社会で生活するにあたっての困難に対する「コミュニケーション支援」「生活支援」であったり、 地域社会の日本人への啓発活動などの具体的な施策のことである。
   
総務省の「多文化共生の推進に関する研究会 報告書」
https://www.soumu.go.jp/kokusai/pdf/sonota_b5.pdfにおいて多文化共生は
   
>地域における多文化共生を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義
   
されている。このような社会の実現を目指すための様々な具体的な施策が「多文化共生」である。 「多文化共生の推進に関する研究会 報告書」を読むと、「地域」と「生活」が多文化共生において重要であることがわかる。同報告書には
   
>国レベルの検討は、これまで主に外国人労働者政策あるいは在留管理の観点から行われてきたが、そうした観点からのみ捉えることは適当ではない。 外国人住民もまた生活者であり、地域住民であることを認識し、地域社会の構成員として共に生きていくことができるようにするため
   
とある。つまり外国人を「生活者」として関わることがまず「多文化共生」の大前提であり、その「生活」とは具体的な「地域」においてなされるわけだから、 一口に多文化共生といっても、それは地域性の特殊性が反映されたものになる。
   
つまり、多文化共生とはまずもって「生活」の話であり、そしてその「生活」の前提となるのは「地域」である。
   
だが京都市は「京都駅東南部エリア活性化方針」によって東九条「地域」を「破壊」し、東九条地域を「一階」の街から「二階」の街へとつくりかえようとしている。 そして実際に地域住人の「生活」を「破壊」している。その上で「多文化が息づくまち・京都」という多文化共生施策を実施している。
   
京都市が巧みなのは、「京都駅東南部エリア活性化方針」という物理的ジェントリフィケーションだけを実行するのではなく、 「多文化共生」とジェントリフィケーションをセットにすることで、ダブルバインドの状況を作って地域や人間を「支配」するという手口にある。 「支配」することで地域住人の主体性を奪いフリーズさせ、抗議や抵抗をさせない、というやり口だ。手が込んでいる。 とはいえ、実際に「支配」されているのは多文化共生に関わる「二階」の世界の者たちなのだが。
   
その京都市のダブルバインド「多文化ドメスティックバイオレンス共生」施策を担っているのが東九条多文化共生エリアにある「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」、 そして施設長の前川修である。
   
「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」とは
   
≪①≫ 「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会 地域福祉センター希望の家」が京都市から受諾した事業、ビジネスであり、 その事業とは東九条多文化共生エリアにある「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」である。
   
≪②≫ 「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」における「多文化共生施策」は東九条地域を直接対象とした施設ではない。
   
≪③≫ 「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は京都市による物理的ジェントリフィケーション施策、「京都駅東南部エリア活性化方針」と連動するものである。
   
≪④≫ 多文化共生の名のもとに「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」施設長、前川修による、東九条地域住人への弾圧、抑圧による「排除」が起きている。
   
≪⑤≫ 京都市の「多文化共生事業」は、東九条地域において、京都市行政にとって邪魔な地域住人を排除するための精神的ジェントリフィケーションとして作用している。
   
では以下順にその「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」および施設長前川修、とは何かを検証していこう。
   
≪①≫「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」とは、「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会 地域福祉センター希望の家」が京都市から受諾した事業、ビジネスである。
   
「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」のホームページの「施設概要」  http://www.kyotonetworksalon.jp/gaiyou/gaiyou.html# から引用する
   
以下引用━━━
   
京都市地域・多文化交流ネットワークサロンは、京都市の事業として実施されています。
   
プロポーザル(公募)、審査を経て、2011年7月より、
社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会地域福祉センター希望の家が
管理・運営を行っています。
   
南区東九条地域の歴史的特性から、多様な背景を持った人たちが交流し、共生するための福祉事業を実施するためのセンターとして設立されました。
   
━━━引用以上
   
とある。読んでそのままの通り、京都市地域・多文化交流ネットワークサロンは、京都市の「事業」であり、社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会がその「事業」を受諾している。
   
このホームページの文言には
   
>南区東九条地域の歴史的特性から、多様な背景を持った人たちが交流し、共生するための福祉事業を実施するためのセンターとして設立されました。
   
とある。だがこれは記述が正確ではない。
   
「福祉事業」をしているのは「地域福祉センター希望の家」であって、それは京都市の「多文化共生事業」とは別の「事業」である。 施設長前川修はこれを「意図的に」混同させて記載するという非常に悪質で詐欺的なことをしている。
   
≪②≫ 「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」における「多文化共生施策」は東九条地域を直接対象とした施設ではない。
   
そこで平山が京都市役所の「総合企画局国際都市共創推進室 国際都市共創担当」の担当者に電話で問い合わせたところ、平山からの
    
「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」の「地域」とは東九条地域のことでは無いですよね?」という問いに、
   
担当者からは
   
「そうですね。ネットワークサロン事業は東九条という地域を限定せずに、京都市全体の多文化共生を推進するための事業になっております。」
   
との回答を得た。
   
事業の主体である京都市の認識は「ネットワークサロン事業は東九条という地域を限定せず」である
   
だがその事業を請け負ったカリタス会側は「南区東九条地域の歴史的特性から、多様な背景を持った人たちが交流し、共生するための福祉事業を実施するためのセンターとして設立され」
   
た、と言っている。
   
・京都市の自己規定は「東九条という地域を限定しない「多文化共生事業」」
   
・カリタス会の自己規定は「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」
   
京都市とカリタス会の認識は180度違う。どちらが正しいのだろうか?
   
当然だが、多文化共生事業の主体である京都市の自己規定が「公式見解」である。 だが、正しい/間違っているというよりは、この「二枚舌」「二つの顔」を使い分けることこそが「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン=前川修」の「仕事」なのだ。
   
「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」という顔はその歴史を見れば、決して嘘ではない。 その詳細は連載の≪19≫に書いているが、それを要約するならば、 長年東九条四ヶ町エリアで福祉活動をしてきた「希望の家」が、多文化共生事業を主体とした「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」へと変わったのだ。 正確には「地域福祉センター希望の家」は残っているのだがその「福祉事業」は大幅に縮小し、地域住人が求めるような手厚い福祉事業はもはや行っていない。 つまり東九条多文化共生エリアにおいて、「福祉から多文化共生へ」という「変節」があった。その際、希望の家の京都市役所の担当課が福祉課から国際推進課へと変わっている。
   
この多文化共生事業は「総合企画局国際都市共創推進室」の事業である。よって、これはあくまで多文化共生事業であって「福祉事業」ではない。これは当然と言えば当然のことだろう。 この事業が「福祉事業」なら京都市役所の「福祉課」が担当するわけだから。
   
だがこの施設が「福祉から多文化共生へ変節した」という歴史的経緯を鑑みた時に、ホームページの記述は確かに嘘ではない。そだがこの施設における二つの自己規定、
   
「東九条という地域を限定しない「多文化共生事業」」と「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」
   
という「二つの顔」が東九条地域を支配する「多文化ドメスティックバイオレンス共生」の「ダブルバインド」の根源となる。
   
事実、「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」の施設長前川修はこの「二つの顔」を巧みに使い分けている。この使い分けこそが前川修の「仕事」である。 処処の事情を知らない東九条地域の「外」の世界の人間に対しては東九条の多文化共生は「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」であることを強調する。 だが一方、「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」が地域住民との当初の約束を破ったことに対して抗議した東九条地域住民に対しては 「ネットワークサロンは京都市全体が対象であり、東九条地域が対象ではない。だからその抗議に応じることはできない」と言い放つ。 これは実際に地域住人の方から平山が聞いたことである。
   
前川修はこの「二つの顔」を巧みに使い分けることでカリタス会および京都市に都合の悪い東九条地域住人を排除している。
   
つまり、
   
「東九条という地域を限定しない「多文化共生事業」」という理屈によって東九条地域住人を排除し、
   
「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」という「アピール」によってその排除を隠蔽し、かつ東九条地域において多文化共生の取り組みがなされていることを偽装する。
   
また、実際にその「福祉事業」の恩恵を受けている地域住人もいることから、前川修のこの「二つの顔」の使い分けがバレることはない。 が、その「福祉事業」をしているのは「地域福祉センター希望の家」であって、それは「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」の事業とは別の事業である。 これを意図的に混同させて「アピール」することで前川修は、「多文化共生事業」がさも東九条地域住人の福祉に貢献しているように「偽装」しているわけである。
   
悪質極まりないといえるだろう。
   
そしてこの前川修による「二つの顔」の使い分けによる地域住人排除こそが「京都駅東南部エリア活性化方針」を下支えしている。
   
≪③≫ 「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は京都市による物理的ジェントリフィケーション施策、「京都駅東南部エリア活性化方針」と連動するものである。
   
現在、東九条地域が注目されている。かつて差別や貧困の問題を抱えた地域が、京都市行政の「京都駅東南部エリア活性化方針」によって大きくその街の姿を変えようとしているからである。 「京都駅東南部エリア活性化方針」とは東九条の京都駅東南部のエリアを若者おとアートの街にすることで活性化しようという施策である。 京都市が誘致したチームラボや、京都市立芸術大学の移転もその一環であろう。時代も変わる。街も変わる。それはいい。 だが問題はこの「京都駅東南部エリア活性化方針」がジェントリフィケーションになっているのではないのかということである。 京都駅東南部のエリアはそもそも住宅街である。ここを京都市がむりやり商業地に変更することで、住宅街に商業ビルやホテルが乱立し、住みにくくなった地域住人の声を平山も直接耳にしている。 これは世界中の都市で起きている事であり、貧困層の住む街に巨大な資本やアートが無理やり流入することで、もともとそこに住んでいた住人が「物理的に」住めなくなるという現象である。 これはもちろん、行政によって意図的に行われている。故に街の「浄化」であり、その「浄化」に「アート」が使われるというグロテスクさがある。
   
その京都市行政による、物理的ジェントリフィケーション施策「京都駅東南部エリア活性化方針」と「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は連動している。 つまり「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は京都市による物理的ジェントリフィケーション施策の一翼をになっていることになるのだが、 それはネットワークサロン施設長の前川修自身が明言していることである。
   
2018年1月1日発行の京都市地域・多文化交流 ネットワークサロン通信 24号  http://kyotonetworksalon.jp/publication/pdf/024.pdf から引用する
   
以下引用━━━
   
東九条と文化芸術
   
京都市は、昨年の4月に「京都駅東南部エリア活性化方針」を策定しました。 ネットワークサロンは、この京都駅東南部エリア(東九条東北部)の中にあるため、事業内容を活性化方針に連動させることが多くなっています。 活性化方針は、京都駅東南部エリアのまちづくりに「文化芸術」という新しい視点を取り入れ、「若者」を中心とした人の流れを生み出し、 エリアの人口減少や高齢化に歯止めを掛け、京都駅周辺と京都全体の活性化につなげようとするものです。 東九条は人が住む地域であるため、「文化芸術」が新たに入って来ることは、住民にとっては違和感のあることだと思います。 しかし、ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ作りを「文化芸術」と捉える直すことが出来るのならば、新たに入って来る「文化芸術」は違和感のないものになります。 東九条に元々あった「文化芸術」と新たな「文化芸術」が融合し、更なる「文化芸術」を生み出していくことが、これからの東九条のまちづくりだと考えています。 (前川修 京都市地域・多文化交流ネットワークサロン)
   
━━━引用以上
   
>活性化方針は、京都駅東南部エリアのまちづくりに「文化芸術」という新しい視点を取り入れ、「若者」を中心とした人の流れを生み出し、 エリアの人口減少や高齢化に歯止めを掛け、京都駅周辺と京都全体の活性化につなげようとするものです。
   
と前川修は書いているがこの文章が書かれた数年後、起きたことは地域住人の住環境の悪化であり、東九条から出て行っている人もいる。 前川修は当然そんなことは予測した上でこの文章を書いている。そしてこの最低な文章、
   
>「ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ作り」
   
どんな美味しいキムチも腐らせ不味くする、まさに前川修らしい虚無を極めた文章だと言える。この虚無的文章こそが東九条多文化共生エリアを象徴する「ことばの破壊」そのものである。
   
>「東九条に元々あった「文化芸術」と新たな「文化芸術」が融合し、更なる「文化芸術」を生み出していくことが、これからの東九条のまちづくりだと考えています。」
   
と前川修は言うが、前川修の文章に沿って言うならば、「ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ」と「チームラボ」が融合し更なる「文化芸術」が生まれることになるが、 そんなものは東九条地域に生まれるわけはない。 そもそも東九条地域に>「東九条に元々あった「文化芸術」」など存在しない。 「文化芸術」とは「二階、三階」の世界、「書き言葉」の営みであって、そんなものは東九条地域「一階」の世界には無いのだから。
   
無いものを在るかのように書く。起こりもしないことを起こるかのように書く。これは詐欺虚偽である。 何故前川修がこんな詐欺虚偽文章を書くのかというと、前川修は、「京都駅東南部エリア活性化方針」が京都市によるジェントリフィケーション施策だという事を完全に理解した上で加担しているだ。 それを隠蔽するために、こんな虚飾にまみれた文章を書かなければならない。だがそれは当然だろう。 「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は京都市から事業委託されて運営されているわけだから、カリタス会や前川修は京都市の施策に対して追随するしかない。 例えそれがジェントリフィケーション施策であっても。
   
ともあれ、
   
>京都市は、昨年の4月に「京都駅東南部エリア活性化方針」を策定しました。ネットワークサロンは、 この京都駅東南部エリア(東九条東北部)の中にあるため、事業内容を活性化方針に連動させることが多くなっています。
   
と明言しているのは「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」施設長前川修自身である。 前川修が、「地域」を破壊する物理的ジェントリフィケーション施策である「京都駅東南部エリア活性化方針」に連動させると明言しているのだから、 そもそもそれが「多文化共生」と矛盾した施策になることは明らかである。
   
何故、前川修が多文化共生事業の「二つの顔」を使い分けるかがこれで理解できるだろう。「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」は京都市の二つの相矛盾する施策、
   
〈1〉「物理的ジェントリフィケーション施策」である「京都駅東南部エリア活性化方針」
   
〈2〉「多文化共生施策」である「多文化が息づくまち・京都」
   
の両方を担っているからである。
   
〈1〉を実行する時は、「東九条という地域を限定しない「多文化共生事業」」という理屈によって東九条地域住人を排除し、
   
〈2〉を実行する時は、「東九条という地域性を強調した「福祉事業」」という「アピール」によって東九条地域が多文化共生の街であるかのように偽装する。
   
地域住人にとって切迫する問題は〈1〉である。ここで前川修が具体的にどのように東九条地域住人を排除しているかを見てみよう。
   
≪④≫ 多文化共生の名のもとに「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」施設長、前川修による、東九条地域住人への弾圧、抑圧による「排除」が起きている。
   
すでにこの連載でも書いているが、 2025年4月26日土曜日「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」で行われた「東九条 春まつり」にて司会をしていた多文化共生系レイシストの浜辺ふうに平山は「差別をやめろ」という 抗議の怒声を浴びせた。怒声を浴びせたことの是非はともかく、この事件が起きた原因は「平山が空の下写真展に暴力を振るった」というデマが流布されたことにある。 詳細は連載の15,16、に書いているが、その際に、差別に抗議する平山に対して前川修は「警察呼ぶぞ」という言葉をへらへら笑いながら執拗に浴びせ続けた。
   
京都市行政の施策を事業委託しているその施設の施設長が、差別に抗議するマイノリティに対して「警察呼ぶぞ」というのは端的に「弾圧」である。 そして在日が当局による治安管理の対象である歴史を前川修は理解しながらこの「警察呼ぶぞ」という弾圧をしつこく続けた。 この前川修の「警察呼ぶぞ」発言は東九条地域の在日、そして日本人にも衝撃をあたえた。
   
後日この件も含め、浜辺ふうによる差別表現や、地域住人を動物の姿で描いたボードゲームの件など、諸々平山は「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」施設長、前川修に抗議文を送っているが、 前川修はこの抗議文を全て無視した。その後直接会う機会があり、何故抗議文に返信しないのかと問うと「あなたあれ脅迫ですよ」と言う。
   
「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」。
   
このことば、前川修の必殺の決めゼリフである。
   
平山だけではない。前川修はこれまでも、自身に寄せられた東九条「一階」の地域住人からの意見や抗議に対してまともに対応せず、「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と「弾圧」し続けてきた。 このことは平山が直接地域住人から確認している。
   
もちろん、「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」の前身の「地域福祉センター希望の家」時代から、前川修もまた、東九条地域のために処々活動し、 東九条地域に貢献してきたことは確かである。現在もある面では東九条地域に貢献しているのだろう。だが、だからこそ卑劣なのだ。
   
前川修のやっていることは、「マイノリティの選別」だからである。カリタス会の利益になるマイノリティ、自分たちが助けたいマイノリティは助けるが、 自分たちの利益にならないマイノリティは地域社会から排除する。何故ならこれはカリタス会の「ビジネス多文化共生」だからである。 ビジネスだからそれは何より利益や利得が優先される。 だから自分たちに意見や抗議するようなマイノリティは「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と「弾圧」し徹底的に排除する。
   
平山は「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と言われたくらいで怯まないが、東九条地域「一階」の生活者はどうだろうか。 前川修のような大きな組織に属する権力側の人間に「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と言われれば恐怖を感じるだろう。 ましてや前川修は「社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会」に属する人物である。資金力もあり、さぞかし優秀な弁護士がついているだろう。 そんな人物に「脅迫ですよ」と訴訟をちらつかされれば、ふつうの東九条地域住人は抗議を引っ込めざるを得ない。 そして何より前川修は京都市行政の側の人間である。前川修は京都市と直接関わることができる権能を有している。 そんな前川修から「警察呼ぶぞ」言われれば怯む者も当然いる。必然的に東九条地域住人は前川修に抗議や批判はできなくなる。
   
大きな組織力、行政と結びついた権力、その力をちらつかせて、構造的弱者である東九条地域「一階」住人やマイノリティ当事者の抗議を封じることはまさにDVやハラスメント、 暴力に類する卑劣なやり方だと言わざるを得ない。
   
そんな人物が、京都市行政の多文化共生の事業である「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」の施設長を務め、 しかもその多文化共生事業は京都市の物理的ジェントリフィケーション施策である「京都駅東南部エリア活性化方針」と連動して動いている。 そのトップにいる人物が、正当な抗議をするめんどくさい地域住人に対して「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と弾圧と抑圧を繰り返し、 京都市の「多文化共生事業」および「京都駅東南部エリア活性化方針」に都合の悪い人間を排除し続ける。つまり
   
≪⑤≫ 京都市の「多文化共生事業」は、東九条地域において、京都市行政にとって邪魔な地域住人を排除するための精神的ジェントリフィケーションとして作用している。
   
と結論づけざるを得ない。
   
何故、京都市が東九条地域に対して相矛盾する施策
   
〈1〉「物理的ジェントリフィケーション施策」によって「地域」を「破壊」する「京都駅東南部エリア活性化方針」
   
〈2〉「地域」が前提となる「多文化共生施策」である「多文化が息づくまち・京都」
   
を実行するのかを考えてみるならば、京都市が描く10年、20年後、の東九条像と多文化共生像が見えてくる。
   
「京都駅東南部エリア活性化方針」によって、東九条「一階」の「地域」を「破壊」し、その後東九条地域を「二階」の街へとつくりかえ、、 その「二階の街」を前提とした「多文化共生の街」にしたいといことだろう。つまり、京都市の多文化共生とは「二階、三階…n階…」の世界限定の多文化共生であるといえる。
   
総務省の多文化共生の定義に明らかなように、「多文化共生」とはまずもって「地域社会」があることが大前提である。
   
だが京都市は現在ある東九条地域「一階」を多文化共生するつもりはない。その後の「二階」の「地域社会」を作った上での「多文化共生」の実現を描いている。 であるがゆえの、京都市立芸術大学の誘致であり、各種アート施設の誘致であり、オフィスビルの誘致である。
   
それを現在進行形で下準備しているのが「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」である。 このネットワークサロンの「登録団体」の一覧をみればそこはほぼ「二階」の世界の団体ばかりである。 そして登録団体に加入するための条件を見てみれば、この条件を満たすことが出来る東九条地域「一階」の住人や団体はいないだろう。 つまり「構造的に」東九条地域住人を排除していることがわかる。
   
東九条地域「一階」の住人はあくまで福祉や教育のサービスを受ける「客体」であって、街づくりには主体的に参加させないという強固な意志がそこにある。 そして自分たちに意見し、抗議する主体性を発揮する平山のような住人には「警察呼ぶぞ」「脅迫ですよ」と弾圧し、それでも屈しなければ「暴力振るった」とデマを流して排除する。
   
平山がここ5,6年ほど東九条多文化共生エリアで味わい続けてきた異常な出来事の数々。これらは京都市のジェントリフィケーション施策に端を発していたのだ。 そして平山がずっと多文化共生エリアで感じ続けてきた違和感、薄気味悪さ、気持ち悪さ、 の根源は「ジェントリフィケーションと多文化共生」というダブルバインドの京都市・東九条「多文化ドメスティックバイオレンス共生」施策にあった。
   
では、京都市行政が悪いのだろうか。悪いだろう。だけど、そのダブルバインドを拒絶するだけのこころ、身体、人間が、東九条多文化共生エリアの世界に無かっただけである。 虚無は虚無らしく、蒸発すればいい。虚無は、滅びることさえできないのだから。
   
東九条多文化共生エリアとは何だったのか。
   
それは、ひとつの「病い」だった。
   
なぜ、「東九条多文化共生エリア」という「病い」が生じたのか。それは京都市行政の責任ではない。
   
虚構を虚構だと認識できなくなったからである。
   
東九条マダンという虚構、多文化共生という虚構、在日という虚構、「わたし」という虚構
   
虚構を虚構だと認識できなくなった時、人間は病む。社会は病む。
   
連載次回は「虚構」について書いてみたい。
   
ところで前川修よ、「ハルモニが無意識に「自己表現」しているキムチ」はどんな味がする?
   
そのハルモニとやらは今、どこにいる?
   
まだ生きているのか、もう死んだのか、死んだとしたらどこにいるのだろうか。
   
おれは自分のばあさんのことをハルモニなんて呼んだこともない。
   
おれにはハルモニはいないけど、前川修、おまえにはハルモニがいるんやなあ。
   
前川修、たとえおまえがこころも身体も無い虚構の存在だといえど、
   
おまえがハルモニと書いた、そのハルモニは
   
虚構を焼き尽くすだろう
   
おまえは、死者たちの名を口にしたのだから。




   

2026年8月8日

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