【連載】 『東九条、死者無き多文化共生の行方≪21≫』

東九条とは誰なのか、何なのか? その5

 『「共に生きる」ことができない「現実」』 その⑤アート系共生 その2 京都市立芸術大学「共生と分有のトポス」による「虚無と分断の植民地化」事件

   
もとめよ、さらば与えられん
   
もとめてもいないし、与えられたくないものがやってくる時、
   
地域に分断と争いがもたらされる。
   
求めてもいないし、与えられたくもない、
   
それは「一階」のことばでいうならば、
   
「いらんことしい、おまえおもないねん。」
   
となろうか。
   
京都市立芸術大学。
   
「いらんことしい、おまえおもんないねん。」
   
朝日新聞のこの記事。https://www.asahi.com/articles/ASTD50SGHTD5PLZB00QM.html
   
京都市立芸術大学の学長小山田徹のインタビュー「京都駅前の再開発 商業アートはもういい 「百年の森」こそ未来へ」である。
    
この記事から小山田徹氏の発言を引用する。
   
以下引用━━━
   
部落解放運動の拠点だった崇仁地区、そして、在日コリアンが多く住む東九条地区はいずれも駅チカで、京都市中心部に残された、ある意味、最後の一等地です。 開発の波によって複雑な過去の歴史が覆い隠され、「浄化」されていく。「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象が、起きつつあると感じます。
…〈略〉…
世界中の都市で起きている問題ですが、まさに今、それが波及しているのが東九条です。
…〈略〉…
経済論理で見れば、負の歴史とかマイノリティーの声は邪魔なんですよね。
…〈略〉…
このあたりは世界の人々が最初に降り立つ、京都の玄関口です。あくまで私の夢想というか妄想なのですが、京都駅から鴨川まで「緑の回廊」をつくりませんかと呼びかけています。
…〈略〉…
これ以上、体験型のアート施設ができても厳しいなと思っています。「アート施設」と言ってはいるけれど、あれは「エンターテインメント施設」の面が強いですよね。
   
━━━引用以上
   
小山田氏の発言、確かにその通りなのだが、京都市立芸術大学の虚無を体感している東九条地域住人として読んでいて複雑なきもちになる発言である。
   
>「部落解放運動の拠点だった崇仁地区、そして、在日コリアンが多く住む東九条地区はいずれも駅チカで、京都市中心部に残された、ある意味、最後の一等地です。 開発の波によって複雑な過去の歴史が覆い隠され、「浄化」されていく。「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象が、起きつつあると感じます。」
   
「ジェントリフィケーション」、「浄化」たしかにそれは起きている。 もしそれを「植民地化」と呼んでもよいとするならば、東九条地域を「植民地化」しているのは京都市立芸術大学である。 在日韓国朝鮮人への差別扇動デマゴーグ公演を、その危険性があることを認識しながら2024年9月14日に主催したのは京都市立芸術大学。 その「>複雑な過去の歴史」を何もろくに調べず企画した公演がきっかけとなって東九条地域に深い傷を与えたのは京都市立芸術大学である。
   
>「経済論理で見れば、負の歴史とかマイノリティーの声は邪魔なんですよね。」
   
そのマイノリティー当事者である在日韓国朝鮮人である平山が2025年1月6日に「差別扇動デマゴーグ公演」について京都市立芸術大学に申し入れをして、 それに対応するそぶりを見せながら11か月待たせた挙句結局何の対応もしなかった事を鑑みると、 京都市立芸術大学にとって「マイノリティーの声は邪魔」なのだということを平山は身をもって理解した。
    
>これ以上、体験型のアート施設ができても厳しいなと思っています。「アート施設」と言ってはいるけれど、あれは「エンターテインメント施設」の面が強いですよね。
   
これ、よく地域外の人間は勘違いするのだが、その「エンターテインメント施設」、恐らくチームラボを指しているのだろうが、 もちろんその周辺の住環境が悪化するという具体的な問題は実際にある。が、チームラボは東九条という地域に興味がない。それが良いのだ。 興味がないから東九条地域自体には何の干渉もしてこない。チームラボがあることで東九条地域の歴史や精神が歪むことは無い。なぜなら「関係ない」から。 だが、京都市立芸術大学のような中途半端に東九条地域に関わってくる連中が一番質が悪い。 東九条の歴史や地域の事情など何も調べずに適当な活動をして地域に分断をもたらす。そして自分たちは文化庁の助成金を得て、かつ実績つくりにもなる。 京都市立芸術大学は東九条地域をいいように利用しているだけ。これは東九条地域への「植民地化」である。
   
さて、「植民地化」とは実際に何が起きたのか、具体的に見ていこう。
    
まず事件が起きたのは、京都市立芸術大学の「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス」という企画においてである。 この企画は文化庁の「大学における文化芸術推進事業」https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/shinshin/daigaku/ の助成金11530000円でなされている事業である。
    
今はもうネット上からは削除されているが、共生と分有のトポスのチラシから引用する。
    
以下引用━━━
   
人材育成目標(目指す人材像・人材が必要な背景・育成対象者)
目指す人材像・人材が必要な背景
京都市立芸術大学が移転した崇仁と隣接する東九条の二つの地域は、現在、再開発のただ中にあります。 見慣れた風景が変化するなかで地域に根付く独自の文化や暮らしはどのように変わっていくのでしょうか。 そして、この問いは移転によって再編される大学そのものにも向かいます。 芸術大学は、新キャンパスと新しい風景の中でどのように再構築されるべきでしょうか。 このプロジェクトでは、自分たちが知っていることや持ち合わせている技術を一度、疑い、立ち止まり、深く考えるところからはじめて、 大学内の三つのグループと地域が協働する形で、共に生き、何かを共有するためのプログラムに取り組みます。
   
育成対象者
アートマネジメントを目指す大学院生や社会人、行政の文化政策やまちづくり担当者、社会との関わりに意欲をもつアーティスト、 開かれた美術館のあり方を模索する学芸員、創造性を活用した教育を目指す教育学部の大学院生、コミュニティーアーカイブの作成を目指す市民
   
令和6年度 育成プログラムの内容(予算額・取り組み内容等)
京都市立芸術大学美術学部・芸術資源研究センター・ギャラリー@KCUAが連携し、プロジェクトを実施します。
予算額:11,530,000円
   
プロジェクトリーダー
   
佐藤知久
(本学芸術資源研究センター専任研究員/教授)
田中功起
(本学美術学部構想設計専攻准教授|本プロジェクトコンセプト・プランニング)
藤田瑞穂
(本学ギャラリー @KCUA チーフキュレーター/プログラムディレクター|本プロジェクトプロデューサー)
森野彰人
(本学美術学部陶磁器専攻教授)
   
━━━引用以上
   
とのことである。この企画のタイトル「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス」の「メディエーター」とは聞きなれない言葉だが「仲介者」という意味らしい。 「メディエーター」とやらの正確な定義はこのチラシやホームページのどこにも書かれていないのでよくわからないのだが、社会の様々な領域の間に立ってアートで仲介する人材を育成する事業、とひとまず解釈しておこう。 アートというよりは実際の社会を対象としたアートマネジメントといったところか。
   
そして本件は崇仁や東九条地域がそのプログラムの主たる対象になっている。
   
この「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス」のプログラムの中のひとつに多文化共生系レイシストの浜辺ふうが出演している「会話劇リリース」の上演がある。 演出はレイシスト山崎なしである。
    
2024年9月14日 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて上演された「会話劇リリース」を平山の在日の友人が観劇した。平山は見ていないが、この知人から、「会話劇リリース」があまりにも酷い内容であったこと。 特に在日韓国朝鮮人を著しく侮辱するような内容のセリフがあったことを聞いた。
    
そこで平山は浜辺ふうの劇団九条劇に質問のメールを送るも返信が無かったため、
    
2025年1月10日に平山はギャラリー@KCUA 宛に申し入れ文を送った。
   
申し入れ文の趣旨は以下である。要点だけ引用する。
    
以下引用━━━
   
<略>
    
①会話劇『リリース』が東九条地域住人、そして在日韓国人の当事者を傷つけるものであるということの指摘とその理由を@KCUA様に知ってほしいということ。
②公演開始前の司会の方による 「この公演が(デリヘルアート事件の)贖罪になればいい」という趣旨の発言がどのうような意図でなされたものかを聞いてみたいということ。
③そして会話劇『リリース』がどのような経緯で、またどのような意図をもって ギャラリー @KCUAが実施したのかということを聞いてみたいということ
④可能であるならば、もし 会話劇『リリース』の映像を記録していたならばそれを視聴してみたいということ
   
0申し入れの経緯。
1問題点
1-a 劇中に浜辺ふうさんのセリフに「在日に生まれたかった」「在日になりたかった」というセリフがあったこと。
1-b 公演が始まる前に会場の司会の方から「この公演が(デリヘルアート事件の)贖罪になればいい」という趣旨の発言があったこと。
    
2東九条地域住人にとってなぜそれが問題なのか
2-a東九条とはどんな街なのか。
 2-b浜辺ふうさんにとっての在日とは誰なのか?何なのか?
 2-c民族教室について。浜辺ふうさんの怒りに正当性はあるのか?
    
3まとめ
   
<略>
    
━━━━━引用以上
    
というこの連載で書いていることの簡易版のようなものを京都市立芸術大学@KCUAに送った。
   
それに対して京都市立芸術大学の担当者E氏から1月31日金曜日に返信があり
   
以下引用━━━━━
   
このたび平山様からお申し出いただきました件につきましては、
 本学として真摯に受け止め、そして向き合わせていただきたいと考えております。
〈略〉
また改めて、平山様にご連絡させていただければと存じますので、
 少しお時間をいただきたく存じます。
 なお、当日の司会原稿もあらためて確認いたしましたところ、1-bのご指摘に相当する発言は一切ございませんでした。
    
━━━━━引用以上
   
という返信があった。この文章を読めば、平山からの申し入れに対して「少しお時間」はかかるが何らかの対応をすると読めるし、平山もそう思ったから京都市立芸術大学からの対応を「待つ」ことにした。
   
2025年4月26日土曜日に「東九条春まつり 平山絶叫事件」が起きる。 詳細は本連載の〈15〉 https://daibanbutsusya.com/sisyanakitabunkakyousei/sisyanakitabunkakyousei/sisyanakitabunkakyousei15/sisyanakitabunkakyousei.htmlを読んで頂くとして、 京都市地域・多文化交流ネットワークセンターで行われた「東九条春まつり」で司会をしていた浜辺ふうに平山が怒声をあびせて差別に抗議するという出来事が起きた。 そういうことも伝えておかなければならないという事と新事実が明らかになったので平山は
    
2025年5月23日?に「会話劇「リリース」についての申し入れ2」 を京都市立芸術大学に送った
    
以下引用━━━━━
    
ギャラリー@KCUA様
    
<略>
    
①追加で質問したいこと。
 ・「@KCUA様が、事前に会話劇「リリース」が当事者を傷つける内容であることを認識し、把握していながらこの公演を主催し上演した意図とは何なのか」
    
②4月26日東九条春まつりで起きた出来事について。
 ・東九条春まつりにて私、平山剛志が浜辺ふうさんに怒声をあびせた件について。
    
③会話劇「リリース」におけるセラピー的志向性の危険性。
 ・ 「ドラマセラピーもどき」を公の場でやることのその危険性と、公の場で「わたし」を「物語る」ことの暴力性について。
    
〈略〉
    
①追加で質問したいこと。
    
後述しますが、4月26日に最近東九条地域で行われた東九条春まつりにて私、平山剛志が浜辺ふうさんに怒声をあびせるという事が起きました。 そのことで山本麻紀子さんとお話をしました。私は山本麻紀子さんとは四年ほど前に知古をえました。山本さんは私にとっては大切な友人であり、尊敬するアーティストでもあります。 山本さんと本件に関してお話をしたところ、
    
1 浜辺ふうさんから、これまで東京の大学2つで会話劇「リリース」を上演した流れで、京都でもどこか大学でできたりしないかというような相談を受けた。 その中で、例えば京都芸大とか可能性があるかなということで、山本さんが芸大に話をしてみるという流れで、当初、浜辺さんが出産を控えていたので、公演ができる時期が限られていて時期的にも山本さんが無理やりお願いした形になった。
    
2 2023年12月。早稲田大学で行われた会話劇「リリース」の初演を動画で見て「一部過激な表現があるので受け入れることができない人もいると思うので、 主催になる大学側には事前に話をしないといけないと思っている」と浜辺ふうさんには伝えた。
3 浜辺さんのセリフで、それを聞いた当事者がそのセリフを受け止められない人がいるので劇が終わった後のディスカッションでネガティブな反応が出る可能性はあるということを@KCUAの藤田瑞穂さんに伝えた。 パフォーマンス当日、上演前に佐藤知久さんにも伝えた。また、当日この公演を観て傷ついた当事者がいたとしても、大勢のいる場のディスカッションでそのことを言うことは心理的に困難であろうことに想像が及ばなかったことを反省している。
4山本さんなりに、東九条や崇仁地域で関わってきた実感と問題意識から、会話劇「リリース」を京都市立芸大で上演することは意義のあることだと考え、 芸大に上演をお願いしたが、自分自身が東九条地域のことを知らなかった部分が多く、結果当事者を傷つけてしまった責任は自分にある。
    
という趣旨の内容のことを電話とメールのやりとりで伝え聞きました。また、上記内容を私から京都市立芸大様へ伝えることの許可は山本さんから頂いた上でこれを書いています。
    
 上記の事実を踏まえて、
    
「@KCUA様が、事前に会話劇「リリース」が当事者を傷つける内容であることを認識し、把握していながらこの公演を主催し上演した意図とは何なのか」
    
を新たな質問として追加します。
    
 私は山本麻紀子さんと話をするまでは、@KCUA様は、浜辺ふうさん及び会話劇「リリース」が在日韓国朝鮮人および東九条地域住人を傷つける内容のものだと認識していないものと思っていました。 認識していないからこそ上演したのだという解釈をしていました。ですが、多少なりともそれを認識した上で上演したとなれば、話は違ってきますのでその意図は是非とも聞いてみたいなと思っています。
    
<略>
    
━━━━━引用以上
    
この「会話劇「リリース」についての申し入れ2」に出てくる山本麻紀子氏とはHAPSが招聘した崇仁、東九条地域で活動するアーティストである。 山本麻紀子氏の証言によれば、京都市立芸術大学側は、浜辺ふうの公演が「在日韓国朝鮮人および東九条地域住人を傷つける内容のものだと認識して」いたのである。特に@KCUAの藤田瑞穂氏は事前に知っていたにも関わらずこの公演を実施したのだ。
    
また、「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス」プロジェクトリーダーに佐藤知久(本学芸術資源研究センター専任研究員/教授)氏の名前がある。 佐藤知久氏は一般社団法人HAPSの副実行委員長であり、東九条空の下写真展にも深く関わっている人物である。そして、「第26回東九条マダン報告集」のp26には佐藤知久氏の文章が記載されている。 そこでは佐藤知久氏が浜辺ふうの一人芝居を見た感想が書かれている。つまり2018年時点で佐藤知久氏は浜辺ふうのことを認識しており、浜辺ふうの表現が東九条地域でどのように評価されているのかをを調べることできたはずである。 また、山本麻紀子氏によれば「パフォーマンス当日、上演前に佐藤知久さんにも伝え」ているのである。
    
この「申し入れ2」に対して2025年5月26日月曜日に担当者E氏からメールがある。
    
以下引用━━━━
    
〈略〉
    
お時間をいただくばかりで、本当に申し訳ございません。
 ひとつひとつ向き合うことは本当に難しいと感じております。
    
 またメールをさせていただきます。
    
━━━━引用以上
    
とのことだったので再び京都市立芸術大学の対応を「待つ」。
    
2025年7月12日土曜日に、東九条の関係者A氏B氏の立ち合いのもと、平山と「劇団 九条劇」の演出家山崎なしと劇団の関係者F氏と話し合いをし、山崎なしからの
    
「(在日の一世、二世の怒りや悲しみ)そういうのに反発するのがモチベーションでやってるんすよね。」
    
というレイシズム発言があり、
    
2025年8月4日に【連載『東九条、死者無き多文化共生の行方』】を開始する。
    
この時点では京都市立芸術大学のことを連載で書くつもりは無かった。申し入れに対する回答や対応を待っている最中であり、大学という組織において意思決定がすぐにできないことも理解していたからである。 書くとしたならば対応を待って、何らかの決着が着いてから。そう思っていた。
    
だが、正確な日付をおぼえていないのだが、11月某日、インターネットで「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス 2024年度活動記録集」 https://gallery.kcua.ac.jp/uploads/2025/02/%E5%85%B1%E7%94%9F%E3%81%A8%E5%88%86%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%9D%E3%82%B92024.pdf なるものを発見する。
    
それと同じ時期11月中旬ころ、東九条地域住人の方から平山に問い合わせがあった。 「八条通と須原通の交差点の糸ちゃんがあった市営住宅の空き家でアートのイベントをやっていました。そこに市立芸大のパンフレット?報告集?のようなものがありました。 芸大はこの件に関しては問題は無かったということにしたのですか?問題ないと判断したからそのパンフレットを置いていたのですよね。平山さんはもう芸大と話し合い等をされたんですか?」と。
    
この活動記録集自体は発行が2025年2月28日なので、平山が気が付かないだけでとっくに発行されていたのかもしれないが、しかし平山からの申し入れがあって一か月半後である。 そしてこの活動記録集には、「会話劇リリース」の差別問題のことは何も記述されていない。何の問題もなかったかのように、こんなイベントをやりました、と記録されているだけである。
    
対応を待ってすでにもう11か月。こんな報告集をネットでも見れるようにして、東九条地域で行われたイベントに置いている。この問題は何の解決もしていないのに。
    
京都市立芸術大学は本件に関して何の対応もするつもりがないのか?
   
そう思った平山は京都市立芸術大学に2025年11月25日火曜日に
   
以下引用━━━━━
   
〈略〉
   
ネット上に誰もが閲覧できるかたちでこのような活動報告集が出た以上、東九条地域住人として、本件に関しての見解、批判を書かざるをえません。 本来であれば、平山からの申し入れに対する京都市立芸術大学様からの対応を待ってからこちらも何らかの対応をすべきなのですが、活動報告集があのような形で社会に出た以上もう対応は待てません。 せめて、何か話し合いのようなものがあるのではないかと思ってはいたのですが、非常に残念です。
    
全てが京都市立芸術大学様の責任ではありません。東九条地域に分断と諍いが起きたのは、そもそもはレイシズム扇動公演をやり続けている浜辺ふう氏の責任であり、また、東九条地域の構造に由来する根深い問題でもあります。
    
ですが、繰り返しますが、この公演は、東九条地域住人、在日韓国朝鮮人の当事者が傷つくであろうことを理解した上で京都市立芸術大学様は主催したのです。その結果、東九条地域に分断と争いが起きました。
    
〈略〉
    
①京都市立芸術大学様におかれましては、平山が申し入れしている本件、「会話劇「リリース」およびこの公演を主催したことは何の問題も無いという認識であり、だから何の対応もしないという見解なのでしょうか?ご回答をお願いします。
    
この質問に関しては回答期限を12月10日水曜日18時までとします。回答期限の延長には応じることはできません。期限までに回答が無かった場合は、回答の意志無しとみなしますのでご理解ください。
    
②「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス 2024年度活動記録集」が本件を隠蔽したかたちで公開された以上、こちらもそれに対する事実の提示と批判を公にしなければなりませんので、その文章を公に公開します。 これは東九条地域住人としてやらざるをえないことですので、ご承知おきください。
    
では①への回答、よろしくお願いします。>
   
━━━━引用以上
   
というメールを京都市立芸術大学の担当者E氏に送った。その後、数度のやりとりのあとに最終的に京都市立芸術大学からの「公式な解答」として出された回答は。
    
以下引用━━━━
    
①について、大学としての見解をお伝えいたします。
    
 本学では、教育・研究のために様々な事業を展開しておりますが、
 どの事業におきましても、個々の事業そのものの評価を下すことを目的としてはおりません。
 早急に何らかの結論を出すのではなく、事前・事後に考察を重ね、課題を引き継ぎながら、
 活動を積み重ねていくことを重要視しております。
    
 なにとぞご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
    
━━━━引用以上
    
だった。これだけ。これでお終い。
    
この文章は、「虚無」そのものである。
    
この非人間的な文章に愕然とした。確かにこの文章は「対応しません」とは書いていない。だが対応するとも書いていない。要は言質をとられないための、どうとでもとれる官僚的というか一休さんのトンチのような文書である。 11ヶ月待たせて出てきたのがこれ。
    
そしてこれが京都市立芸術大学の公式の回答であるということは、本件担当プロジェクトリーダーの四人、佐藤知久、田中功起、藤田瑞穂、森野彰人もこの回答を承認した上で出したということだろう。 要は、この四人、「共生と分有のトポス」と言いながら共生する気なんてさらさらなかったということである。
    
「共生」やら「多文化共生」なんてきれいごとは誰でも言える。だけど実際に何か問題が起きた時にちきんと検証し、反省し、対応することが「共生」ということばを吐いた責任なんじゃないのか。 しかもこの企画は文化庁からの助成金でおこなわれている事業である。原資は政府出資金。非常に公的な意味合いの強い事業である。その事業において差別事案が発生したのに何の責任も果たさない。
    
佐藤知久、田中功起、藤田瑞穂、森野彰人
    
おまえらは、虚無。
    
おまえらのことばは全て虚無。
    
「共生」という営みは「何を言ったか」ではない。実際に「何をしたか」「何をしなかったか」である。
    
おまえらは、「共生を言って」「共生をしなかった」。
    
これから先、おまえら四人が何を言っても書いてもそれは全て中身の無い虚であることが確定した。実際に「何もしない」のだから。
    
この文章を受けて平山はもう申し入れを打ち切って終わりにした。
    
京都市立芸術大学は正真正銘の虚無である。虚無と人間らしい関わりをすることなどできない。
    
人間がやることなんだから、プロといえど失敗することはある。無知故に、または無意識に差別をしてしまうこともある。おれはそれを責めているわけではない。 当事者からの申し入れに対して、対応すると言いながら11ヶ月待たせて何もしてませんでしたて、最悪やろ。 当事者の言う事だからといって全て無条件に受け入れる必要は無い。当事者の言うことは大げさだし、時に嘘もつくし、理解するのがめんどくさい。だけどそれをきちんと検証して、反省するという過程は必要やろ。 ましてや今回の件は差別事案である。差別を許容するのがおまえらの「共生」か?佐藤知久、田中功起、藤田瑞穂、森野彰人。恥を知れ。おまえらは共生どころか表現に携わる資格も資質も無い。虚無が何を表現するねん。 虚無がやることはすべて虚無。虚無=虚無。
    
2025年1月31日金曜日の京都市立芸術大学からの返信
    
━━━━━
   
このたび平山様からお申し出いただきました件につきましては、
 本学として真摯に受け止め、そして向き合わせていただきたいと考えております。
〈略〉
また改めて、平山様にご連絡させていただければと存じますので、
 少しお時間をいただきたく存じます。
    
━━━━━
    
これは一体何だったのだろうか。「真摯に受け止め、そして向き合わせていただ」いた結果があの最後の文章である。恐らく初めから本件に対して何の対応もとるつもりが無かったのだろう。 実際に何らかの対応をしていたのなら、平山からの11月25日の問い合わせに対して「現在協議中なのでもう少しお時間をください」という返信になるわけで、 京都市立芸術大学は平山からの申し入れに対して対応するそぶりを見せながら「何もしていなかった」。そう結論せざるを得ない。
    
京都市立芸術大学は、嘘をついたわけである。
   
さて、以上の出来事からわかることは京都市立芸術大学は、地域、差別、表現、人権といった事象にきちんと対応できる「能力」が無いということである。能力が無い組織に高度な倫理観が備わることは無い。 京都市立芸術大学のような、能力もなければ倫理観もない組織が、東九条という差別や貧困や複雑な問題を抱える地域に関わってはいけない。
   
「共生と分有のトポス」というが、実際に起きたことは「虚無と分断の植民地化」である。
    
東九条という地域を「ネタ」にして「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業」と銘打って文化庁から11,530,000円もの予算を得て、だけどその地域のことはろくに調査せず、 それが当事者を傷つける危険があると認識しながら差別扇動デマゴーグ公演を主催し、地域住人からの申し入れを「対応します」と嘘をついてずるずる引き延ばし、最後非人間的な虚無文章を送りつけてお終い。
    
もちろん全てが京都市立芸術大学の責任ではない。そもそもは浜辺ふう、山崎なしという多文化共生系レイシストにその責任はあるし、このような者たちを許容しつづけた東九条多文化共生エリアの者たちにも責任はある。 だが、「会話劇リリース」の公演が無ければ、平山が東九条春まつりで絶叫することもなかったのだ。東九条地域に分断と諍いがもたらされたその起点となったのは京都市立芸術大学が主催した「会話劇リリース」である。 この件への抗議活動の過程で、東九条での友達も失ったし、本来なら争わなくてもよい人たちとも争うことになった。平山の東九条での生活は少し壊れた。もちろん抗議活動する以上はそんなことは覚悟してやっている。 だけど、もし、この件に関して京都市立芸術大学が早急に何らかの対応をしてたならば、事体はここまで深刻にならずに済んだ。差別の問題に機動的に対応できないのならば、差別の問題を抱える地域に関わっていはいけない。 差別は社会そのものを破壊するからだ。それを放置すれば破壊は進行するだけ。11ヶ月待たせることは、11ヶ月ぶん、東九条の社会の破壊を進行させたということである。
   
繰り返すが、全てが京都市立芸術大学の責任ではない。
    
だけど「三階」の連中が、地域の事を録に調べず、危険を承知でやった公演が現実に東九条地域に分断をもたらし、「一階」の人間が苦しむことになったのだ。 おれがアカデミアやアートを常に批判しているのはこの事象である。 こいつらはやりたい放題やって何か事件が起きても何の責任も取らずへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへら へらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへらへら へらへらやり過ごしてあんなふざけた文章を送り付けて終わり。
    
「共生」と銘打った企画でなぜこんなことが起きるのか?それを端的に証言した文章がある。
   
「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス 2024年度活動記録集」p5から引用する。
   
以下引用━━━
    
はじめ(るため)に
    
引き裂かれ、混乱しているというのが正直なところだ。でもおそらく学びはある(はず)。
    
〈略〉
    
しかし、いま(も)、ぼくは混乱している。保護者である自分と、大学教員である自分との間で引き裂かれ、
困りはてている。生活者としての自分とアーティストとしての自分といってもいいかもしれない。
共生といえば、もちろん他者との共生をイメージするだろう。でもここには、自分自身の二つの立場へ
の引き裂かれと、その共生がある。ぼくはこの経験によってどう変わっていくのだろう。
    
〈略〉
    
田中功起
    
━━━引用以上
    
これが「三階」の世界と「一階」の世界の「差」である。
    
>「引き裂かれ、混乱しているというのが正直なところだ。」
    
いや、引き裂かれ、混乱しているのは東九条地域。引き裂いたのはおまえら京都市立芸術大学。
    
>「保護者である自分と、大学教員である自分との間で引き裂かれ、困りはてている。生活者としての自分とアーティストとしての自分といってもいいかもしれない。」
   
生活者である自分と表現者である「ぼく」が引き裂かれてる?「一階」の住人はお前ら京都市立芸術大学の活動のせいで「生活そのもの」が引き裂かれ困り果てている。
    
>「共生といえば、もちろん他者との共生をイメージするだろう。でもここには、自分自身の二つの立場へ の引き裂かれと、その共生がある。ぼくはこの経験によってどう変わっていくのだろう。」
   
これ、この文章。
この文章、実は「共生」の階級問題に関してかなり本質的なことを証言している。それは
   
「二階」や「三階」の人間にとっての「共生」はアイデンティティの問題になるが、かたや「一階」の人間にとっての「共生」は現実の問題である。
   
ということである。この違い、この分断、この断絶、この認識の齟齬が「共生」や「多文化共生」における問題の根源なのだ。そして
    
>「ぼくはこの経験によってどう変わっていくのだろう。」
    
という文章が象徴しているが、「三階」の世界の「共生」とは「自分探し」でしかない。「二階三階」の世界の「ぼく」の「じぶんさがし」のために東九条地域「一階」の世界が分断され、生活が破壊される。 この残酷なまでなコントラストをこの「ぼく」の文章は見事に描き出している。
    
この現象は京都市立芸術大学の「ぼく」に限った事象ではない。
    
実は東九条マダンも「アイデンティティまつり」であると平山は認識している。だから東九条の現実を生きる「一階」の地域住人とかみ合わない。このことはまた後日の連載で書く。
    
そして浜辺ふうも同じ。浜辺ふうが「多文化共生」と言う時それは東九条の「現実」を問題にしているのではなく彼女のアイデンティティの問題のことを指している。 だからこそ浜辺ふうは在日韓国朝鮮人の「現実」を無視して踏みにじってでも「わたし」が共生されることの方が大切なのだ。 東九条地域住人や関係者がどれだけ「在日の現実」や「在日の歴史」や「東九条の現実」を浜辺ふうに訴えたところで浜辺ふうという「二階」の者にとってそれは「わたしの共生」を邪魔する迫害でしかない。 この構図を認識すると、レイシスト山崎なしの
    
「(在日の一世、二世の怒りや悲しみ)そういうのに反発するのがモチベーションでやってるんすよね。」
     
という発言が、自分たち「二階三階の日本人」にとって邪魔な「一階の在日」を本気で排除しようとしていることが理解できるだろう。 つまりこれは日本人から在日へという差別と同時に「二階三階」から「一階」へという差別も含んだ複合的な差別であって、これこそが東九条多文化共生エリアで起きていることの構造そのものである。 東九条多文化共生エリアにおいて「階級」による排除が起きることで、それと連動して日本人から在日へという方向性の差別が「隠然」と起きてしまうのだ。 しかもそれは「多文化共生」の名のもとにきれいな物語で隠蔽される。そしてそのことに、差別される側の当事者ですら気が付いていないということが起きている。だからおれは、ここ三年叫びまくっているのだ。
    
この「階級差」というものに全く無自覚な者たちが「共生」を振りかざして東九条地域で活動する時、必然的に差別や抑圧や収奪が起きる。
    
だから「二階 三階」の「虚無=わたし」がアイデンティティの問題として「共生」しようとする時、それは必然的に「一階」の人間の生活を破壊し「分断」をもたらし、現実を歪めてしまう。 そうやって「一階」の世界を「ネタ」にして国や都道府県からの助成金を得る。これは東九条に限らず、どの地域でも起きているアートによる地域の「植民地化」である。 しかも自分たちがやらかしたことには何の責任もとらず、非人間的な文章を送り付けてお終い。
    
以上が京都市立芸術大学による「共生と分有のトポス」による「虚無と分断の植民地化」事件である。
    
東九条「一階」の地域住人平山が京都市立芸術大学に「もとめる」ことはただひとつ。
    
京都市立芸術大学は二度と東九条地域に関わるな。
    
それだけ。
   
能力も無い、倫理観も無い、責任感も無い、隣人愛も無い、任侠もない、人間性の欠片も無く、 社会性が著しく欠如した組織である京都市立芸術大学ならびに本件プロジェクトリーダーの佐藤知久、田中功起、藤田瑞穂、森野彰人は、アカデミアのアートの世界に引きこもってそこから出てくるな。 虚無が「一階」住人の生活の場に出てくるな。それだけ。
    
京都市立芸術大学。いらんことしいが、おまえらおもんないねん。
    
最後に「芸術と社会の交差領域におけるメディエーター育成事業 共生と分有のトポス 2024年度活動記録集」p8の田中功起の文章から引用する。
    
以下引用━━━━
   
共に生きるなんて無理、ってところに立つことからすべては始まる。
    
〈略〉
    
共に生きるのはやはり難しい。でも、例えば、共にいることはできるのか、と問いを軽くしてみてはどうだろう。
    
━━━引用以上
    
その通り。
   
京都市立芸術大学のような虚無と共に生きるなんて無理、ってところに立つことからすべては始まる。
    
無理なものは無理。共生終了。
     
京都市立芸術大学のような虚無と共にいることはできるのか、と問いを軽くしてみても
   
無理なものは無理。共居終了。
    
虚無の無は無理の無。
   
無理が通れば道理がひっこむ。
    
道理がひっこむ必要なし。
    
虚無よ、「ぼく」がひっこめ。
   
虚無よ、森へ帰れ
    
森の回廊はいらない
    
だけど、
    
虚無が帰る森は必要
    
人間にとって、もはや虚無でしかないアートも芸術も必要ない。
    
だから京都市立芸術大学を潰して更地にして、
   
そこに、森が生まれるのを待てばいい
    
100年?
   
いや、千年でも、万年でも、百万年でもおれは待つ
   
虚無が帰る森を。
    
虚無が大地に帰る
   
森を
    
百万年の命を
    
おれは待つ
    

   

   

   

   

   

   

  
  


  

2025年12月21日

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