【読書感想文】
『カラーセラピーと高度消費社会の信仰 ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か? 』
加藤有希子 著
サンガ
ニューエイジ、スピ、自己啓発は胡散臭い。が、実は胡散臭いのはこれらが蔓延る現代社会そのものなのかもしれない。
そしてその現代社会を生きる「わたし」自身がすでに相当うさんくさい存在であることは免れ得ない。
この「うさんくささ」とは一体何なんだろうか?
うさんくさいとは本物ではないとか本当ではないとか作為的に作られたものというか仕組まれたものとかそんなニュアンスがある。
実は「わたし」が「わたし」だと思っている「わたし」も仕組まれた「わたし」なのかもしれない。
本書の副題に「ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か?」とあるが、本書は「わたしとは何か?」という問いの答えにもなっている。
厳密に言うなら「現代人にとっての「わたし」とは何か?」もしくは「現代の「わたし」の仕組み、カラクリ」とでも言えるだろうか。
自分探しの答えを安易に提供するのがスピや自己啓発ならば、本書はわたしは何故自分探しをするのか、
もしくは自分探しをするように仕向けられるのかの仕組みやカラクリを提示する。
本書を読むと普段スピや自己啓発を軽蔑し、否定する人にとっても実はもうスピや自己啓発の毒に侵されていることに気づかされるだろう。
そして自分には実は個性なんて無かったのだと思い知らされ愕然とするかもしれない。
自分が個性だとか「わたしらしさ」だと思い込んでいたものがどこにでもある凡庸で些末な「欲望」にしかすぎない事が本書を読めばよく分かる。
そしてその「欲望」を際限なく肯定してくれるのがスピや自己啓発である。
だがその際限ない肯定が実は非常に残酷さを伴ったものであることを本書は指摘する。
本書引用p151>>
このように積極思考は少なからず「エリート」の思考法である。というのも「思っていれば実現する」という考えが現実になりうるのは、かつてないほどに摩擦の少ない社会に生きているからに他ならない。日常的な必要最低限の問題はすべてクリアし、あとは自分の精神を整えさえすればうまくいく、そういう社会でこそポジティブ・シンキングは活きてくる。つまり積極思考には、精神、物質両面においての「何不自由なく生きる」という明確な目標設定があり、残酷なまでの上からの押し付けがある。不幸が起こったときに、それはあなたがそう思っていたからだ、と言われたらどうだろう?それほど弱者を追い詰める倫理観はない。
>>引用以上
そう、スピや自己啓発に感じるうさんくささとはこの倫理観の無さに由来するともいえる。
無制限に消費することの肯定、自己責任論の肯定、拝金主義の肯定、弱肉強食の肯定、そしてナルシシズムの際限なき肯定…。
そして実はこれらは現代社会が社会が要請する労働者≒消費者のニーズにピッタリ合うのだ。
スピや自己啓発が好きだろうが嫌いだろうが現代社会に生きる以上「わたし」はもうこの論理に巻き込まれて欲望させられている。
そしてこの凡庸でどこにでもある欲望を「わたし」自身だと錯覚する。スピや自己啓発の「自分探し」が悪質なのはこの自分探しと銘打って
「特別さ」を煽っておきながらその実態は凡庸でどこにでもある矮小な「欲望」を「わたしらしさ」だと錯覚させて無制限に肯定することにある。
そして「わたし」は「わたし」を購入し、消費する。この構造は現代社会そのものの構造でもある。
本書はこのカラクリを著者自身の実体験と切実な心情も交えながら見事に解き明かし提示する。
ニューエイジやスピリチュアル、広く精神世界と呼ばれるジャンルは玉石混交でその多くは石の方だけど、
中には玉もある。本書はその「うさんくさい」ジャンルの中から本物を見つけ出すための指針にもなるだろう。
本書は前回書いた、「精神世界ゆくえ 島薗進著」の読書感想文を読んで頂いた方から紹介して頂いた本である。
「精神世界のゆくえ」と共通するところや問題意識が重なっているが、こちらは明確に現代社会の「わたし」に焦点が当てられていて、
下手な心理学の本を読むよりよほど現代社会の「わたし」のカラクリが見える。
最後に本書から引用する。本書p108>>
現代は自己物語の時代と言われる。自己は自己物語があってこそ生み出されると言われる。
(略)個人主義が横行する以前の時代であれば、自己物語は集団の物語に吸い込まれていた。(略)しかしグローバルな高度消費社会の住人は、
物語を作る時、宗教にも、民族にも、国家にも、先祖にも、場合によれば友人や家族にすら頼れない。
すべて自分に自分の物語の責任が課されているのだ。ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発などのキッチュは、
こうした物語を渇望する現代人に、安価な答えをくれる。しかしその安価さは、裏を返せば、すぐにでもそうした物語が欲しいという、
人々の渇望の強さ、余裕の無さ、必死さを浮き彫りにしている。(略)その心の隙に入り込むのが、キッチュな物語である。
それはその物語の質のキッチュさとは裏腹に、私たちの本質的な渇望と欲求不満状態を如実に示しているのではなかろうか。
>>引用以上
非常に胸にせまる文章で、ひりひりする。このひりひりこそが現代の「わたし」なのだろう。
名著である。絶版になったのが惜しまれるが、自己啓発やスピが好き嫌い興味ある無しに関わらず多くのひりひりする「わたし」に読んでほしい本である。
2024年10月1日 記す