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『永遠の少年』

【読書感想文】
『永遠の少年』
M・L・フォンフランツ 著
松代洋一 椎名恵子 訳
 「生きたいのに生きることができない」。
若い頃はずっとこれで苦しかった。齢を重ねても苦しいものだけど、若いころの苦しみというのはまた別格で、自分が何で苦しいのか分からないという苦しみがある。 理由のない罪悪感に苛まれる、何をどうしていいのかわからない、退屈なのに焦ってる、とにかく苦しい、働きたくない、とにかく惨め、なぜだか惨め、自分だけが置いてけぼり、…。 それは一言で言うと「生きたいのに生きることができない」という事だった。 こういう事は齢を重ねていくごとに理由や原因、原理がわかってくるし、理由がわかれば対処もできる。このわたしの「生きたいのに生きることができない」苦しみが何に由来するのか、 その事を明確に私に教えてくれたのがM・L・フォンフランツ 著『永遠の少年』。 ページをめくるたびに涙が止まらない。
どのページにも、どのページにも、全てのページにどのページにも、どのページにも、全てのページに「母の息子」である私自身の事が書いてある。ずっと涙が止まらない。 本書はサンテグジュペリの「星の王子様」を題材に分析した論考。マザーコンプレックスについて書かれている。 「母の息子=永遠の少年」の光の側面と暗黒面、大母の光の側面と暗黒面。母性に捕らわれ支配され続けることは、混沌のなかで混濁し続けることに等しい。 目隠しをされたまま樹海をさまようようなもので、まず大切な事は今この状況が何なのかを知ることだ。それがどれだけ痛みをともなうことであっても。 痛かった。この本を読んで本当に痛かった。全てのことばが私に刺さる。だけど私はこの本を読んではじめて自分の為に涙を流す事ができたのだと思う。 自分はなんて惨めで救われない、哀れな存在だったのかと。それは事故憐憫しているわけではない。ページをめくるたびに現実を突きつけられるからだ。 この本を読んだ事は自分の人生の中で初めて、歪んでない、曇ってない、真っすぐで澄んだ鏡を見た体験だった。そこには過大でもなく過少でもない現実の私自身が鏡映されていた。 その、歪み曇りなく写されるという体験が私を救ったのだと思う。正しく鏡映されることを当時の私は深く望んでいたのだろう。 私のこころの師、フォンフランツさんは厳しい。とてつもなく厳しい。徹底して透徹している。でもその透徹するということを論理的に考えるという意味ではなく、 関係の仕方として私は受け取った。たぶん透徹することは「支配」や「所有」とは真逆の関係の仕方なのだと思う。 だからフォンフランツさんの本を読むと私はいつも澄み切った愛を感じる。全文引用したいけれど、特に私を救ってくれた文章。
   
p082「永遠の少年が学ばねばならないのは…嫌いな仕事にも精を出すことだ」
   
p298「なんの仕事であれ、労働はその分野を耕すことで永遠の少年の心の亀裂や苦しみを癒す薬となる」
   
わたしはこの本を読んで生きることができた。というか生きてもいいんだと思えたし、その為にすべき事や心構えは本書に書いてあったので、それを指針に生きて来た。 この本を読んでから20年近くたったけど、あのころに比べれば少しはわたしも成熟できたかもしれない。 まだ「母の息子」だけど。だけど、今は生きることができている。 フォンフランツさん、ありがとう。 前回紹介した『男性の誕生』と、以前紹介したカトリンアスパー『自己愛障害の臨床』、この三冊は私にとってのマザーコンプレックス三大名著。気合い入れたい「母の息子」は是非読んで見てほしい。 最近の社会には神も仏もいないけど、本がある。 本、最高!!!!!!!    
午前0:57 ・ 2023年3月11日